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世界基準を知るということ

日本時間で24日に行われた注目の女子フィギュア。NY時間では、23日夜でした。日本のニュースのほうが詳しいので、そちらで色々チェックしていたら、NYとの時差が14時間あることをすっかり忘れていて、あやうく見逃すところでした.。アメリカは、やはり野球とバスケとアメフトの国なのでしょうか。

オリンピックは、NBCというチャンネルで放送されていますが、日本のような盛り上がりは全くなく、普通の試合とほぼ同じような扱いなので、ついオリンピックが4年に1度しかない特別な舞台であることを忘れてしまいそうです。アメリカは、メダル争いもトップを走っているのに、不思議でなりません。

解説は、金メダル候補となる外国人選手(フィギュアでは、プルシェンコやキムヨナ、真央ちゃん)以外は、やはりアメリカ選手に熱がこもりがち。アメリカ生まれの日本人、長洲未来ちゃんは、真央ちゃんと同じぐらい大きく取り上げられていました。

日本にいたら、日本選手が登場したら、見ている私まで緊張して競技が終わるまでずっと固まってしまうところですが、こちらの解説者がドライであるからか、そして日本選手も他国選手と全く平等に報道されているからか、冷静に競技を楽しんでいます。

そこで気づいたことは、「世界基準」で戦うということの重要性。

男子フィギュアを見て驚いたのが、日本選手に対する報道。日本では、3選手ともにメダル有力候補として注目されていましたが、こちらで解説者が力を入れて解説していたのは、高橋選手のみ。

金メダルを獲得したアメリカ人であるエバン選手のライバルとして、ショートプログラムが始まる前、そして競技を通じて解説者がその名を口にしたのは、プルシェンコ選手と高橋選手だけでした。

この2選手だけは、演技前に、オリンピックへの道のりをたどったショートビデオが用意されていました。

高橋選手とそれ以外の日本人選手の違いは、一体何なのでしょうか。

スケート観戦が好きでも、細かい技術面等の知識がない私には、最初は全くその理由が分かりませんでした。しかし、解説者のコメントを聞いていて、高橋選手にあって、他の選手には足りない、とアメリカ人解説者が感じているポイントはここにあるのではないか、と気づきました。

それは、演技がSexyであるかということ。

細かいジャンプの技術、複雑なステップをいかにこなしているか、ということよりも、やはり見ている人の目と心へ訴えかけるスポーツ、フィギュアならではの美を意識しているか、ということが日本での感覚よりも重視されているように思います。

それは、言い換えると、自分を一番美しく見せる(魅せる)方法を知っているか、そしてその努力を行っているか、ということ。

もっと具体的に考えると、

氷上での演技に合う選曲をしているか、薄氷の上で映える衣装を選んでいるか、かわいさよりもセクシーさを意識した振付けをしているか、そして最後はそのセクシーさを内面から最大限引き出しているか。

メダルを獲得した3選手に対しては、試合前から、あらゆる形容詞を使って絶賛していたアメリカの解説者。フリーの最後のステップで織田選手が見せたチャップリンを模した演技は、個人的には個性的でいいのでは、と思ったのですが、こちらの解説者は、かわいさはちょっと…という感じであまり評価していませんでした。

こうして考えると、ジャンプやスピードスケートのような距離やタイムという客観的尺度だけで勝敗が決まるスポーツは、自分の殻に閉じこもってひたすら記録追求、という方法でもいいのかもしれませんが、審査員がいて、人間の目で判断されるフィギュアのようなスポーツでは、海外でどのように評価されているのか、ということを研究することも、飛躍への絶対必要条件なのではないか、と思います。

この世界基準で戦うということについて、まだまだ考えてみたいと思います(つづく)。


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