アメリカを代表する食べ物の一つが、ハンバーガー。
ニューヨークにはハンバーガーチェーンやハンバーガーを提供するレストランが多くありますが、味と知名度でどこよりもリードしているのは、Shake Shackでしょう。
2015年には日本にも進出していますので、ニューヨークに行ったことがなくてもその名を知っている人も多いかもしれません。
私はハンバーガーが好きで、今まで様々なハンバーガーを食べてきましたが、Shake Shackのハンバーガーには昔から虜になっていて、多いときには週に一度は食べていました。そんなShake Shackのハンバーガーには面白い誕生秘話、さらには驚くような裏話があります。
今やレストラン界の帝王とも言えるダニー・メイヤーさんが一代で築き上げたハンバーガーチェーンは、どのようにして生まれたのでしょうか。
Shake Shackの1号店は、マディソンスクエアパーク内の屋外店舗です。
おしゃれな公園で、真向かいはかの有名なフラットアイアンビル。今や人気のエリアですが、ニューヨーク全体の治安が悪かった大昔には、危ない地域だったそうです。
そして、この地域の再開発に乗り出したマディソンスクエアパーク管理グループが2001年夏に企画した最初のアートインストレーション"I ♥ Taxi."の催しの支援として、ダニーさんが出したシカゴスタイルのホットドックカートが、Shake Shackの前身です。今やハンバーガーとして知られているShake Shackですが、当初はこの催しのためだけの仮設店舗で、ハンバーガーはメニューにはなかったのは、驚くべき事実かもしれません。
ダニーさんは、その当時、この公園の東にミシュランの三ツ星レストランとして世界的にも名が知られたEleven Madisonというレストランのオーナーであり(レストランは、2011年にシェフとディレクターに売却)、なんとこの公園内のカートで販売されたホットドッグは、お隣の三ツ星レストランのキッチンで作られていたそうです。
2001年夏の期間限定だったはずのホットドッグカートですが、その人気ぶりから、2002、2003年の夏にも営業を行いました。
そして、2004年、Shake Shackは、NY市の公園管理局とマディソンスクエアパーク管理グループから、公園内での年間を通じての経営を認められ、2004年6月12日、Shake Shack1号店が、マディソンスクエアパーク内にオープンとなったのです。
そこから続く快進撃。しかし、創業者のダニーさんは、父親が2度破産した経験があることから、事業の拡大には慎重だったと言います。そんなダニーさんの良い右腕となったのが、Shake Shack現CEOのランディーさん。
現在はUnion Square Hospitality Groupの創業者として、NYを中心に多くの人気レストラン、そしてShake Shackを抱える有名レストラングループのトップのダニーさんですが、そのダニーさんがまだ2つのレストランしか経営していなかった頃に、ダニーさんの記事を読んだ当時ランディーさんが働いていたレストランのオーナーから、面白い人がいるので話してみたらと言われて、ランディーさんはダニーさんに電話をしたのが、ダニーさんとランディーさんの出会い。そして、ランディーさんはたった24歳という若さでダニーさんが経営していたあるレストランのジェネラルマネージャーとなり、そこから出世を続けて、長年Shake ShackのCEOを務めています。
Shake Shackは少しずつメニューを刷新していますが、一大プロジェクトだったのは、フライドポテトの研究。地元ニューヨークタイムズ紙の有名フードライターに、フライドポテトを酷評されたことがきっかけで、2年にわたり、100万ドル(およそ1億⑤0⓪0蔓円)以上をかけて、フライドポテト作りを行ったそうです。しかし、渾身のフライドポテトは評判が良くなく、元のフライドポテトに戻したといいます。Shake Shackはいつ行っても安定のおいしさですが、その背景には、味への徹底的なこだわりもあることが垣間見れる驚きのエピソードです。
一般のビジネスの常識に反して、国内でまだ数店舗しかないときから積極的に海外出店も進め、2023年9月末時点での全世界での店舗数は495。そのうちおよそ35%もの店舗は海外にあるようです。
NYにいらっしゃる機会がありましたら、ぜひShake Shackのハンバーガーをお楽しみください。