ヤンキースの感動的な優勝から早1週間。
オフィシャルグッズショップやおみやげ屋さんが関連グッズのセールで盛り上がる一方で、松井選手の去就も気になる日々です。
優勝記念パレードは、テレビでも大々的に放送されていました。
私は運悪く、その日に限って、授業が早めスタートだったので残念ながらパレードはテレビで後から見たのですが、現地へ駆けつけた友人は、開始1時間前に着いたのに、あまりの混雑でパレードの通りに入れてもらえず、現地に設置されたスクリーンでの観戦だったようです。
ヤンキースタジアムは、NYの中心マンハッタンからはるかに北のブロンクスという地区(マンハッタンから電車で40分ぐらい)、いわばちょっとした郊外にあるので、普段街中でヤンキースファンを見かけることはほとんどありません。
しかし、このパレードの日は大違い。
スタート地点のバッテリーパーク(自由の女神行きのフェリー乗り場があるマンハッタン最南端の公園です。)から市庁舎までの短い道のりで、あまりの人だかりに信号や建物によじのぼる人がいたり、近くのウォール街で働く社員が三脚を持ち出したり。
ニューヨーカーにこれほどまでに感動を与えてくれた出来事の立役者が、一人の日本人選手であったことは、私たち日本人にとって誇りです。
実は、松井選手がホームランを放った第2戦、第3戦のときには、彼の活躍はこちらではあまり伝えられていませんでした。テレビで流れる試合後のインタビューも、アメリカ人選手が中心。
所変わればなのでしょうか…。
こうした状況から考えると、ひざを怪我して指名打者としてしか出場することができない松井選手を取り巻く環境も、決して穏やかではなかったはずです。実際、現地の新聞は、「ワールドシリーズ前は、ヤンキースは松井との再契約を考えていなかっただろう。」とコメントしています。
そんな彼にとって、「大好きな街NY、大好きなチーム・ヤンキース」に残る手段は、このワールドシリーズで活躍することしかなかったのです。スポーツ選手ではない私たちにははかり知れないプレッシャーの中で出したこの成果。彼の活躍に心から拍手を送りたいと思います。
11日には、彼の代理人テレム氏がとあるネットに異例の声明を発表しました。
ヤンキース首脳陣は、このコメントをどのように受けとめるのでしょうか。まだまだ目が離せません。
スポーツの秋。まだまだスポーツネタは続きます。