世紀の大混戦となっているアメリカ大統領選挙ですが、投票日から2日過ぎてもいまだ結末が見えない状況です。投票日前日のマンハッタンは、こんな戦いを預言するかのようにぴりっと冷え、さらにどちらが勝っても暴動が起きることを恐れた路面店が、夏に発生したBLM (Black Lives Matter)の二の舞にならないようにと、次々と外のガラスを木で覆い、物々しい雰囲気でした。
一転して、投票日の翌日は、穏やかな気候。もともとこの日は暴動を恐れて臨時休業の予定だったのでしょうか。グランドセントラル駅のアップルストアや5番街の銀行で休業しているところもありました。また、この日はもともと治安に気を付けた方が良いとの話も出ていたので、自宅から働いていた人もいたかもしれません。
今回の選挙がこんなに混戦となっている理由などは、別の機会に詳しく書きたいと思いますが、一つ大きな理由は、コロナにより選挙当日の会場の混雑を恐れたお年寄りを中心に、事前投票する人が多く、その集計に時間がかかっている州もあると言います。選挙も州ごとに管理されているため、州によっては州の規則で、当日の投票が終わってから郵便投票分を開票するところもあり、慣れない作業とその量で時間がかかっているようです。
ところで、トランプ氏のことは割とよく知られていると思いますが、その対抗馬、ジョー・バイデン氏については、日本ではオバマ政権時代の副大統領、ということぐらいしか知られていないかもしれません。そこで、ジョー・バイデン氏のプロフィールをまとめてみました。
当選したら米国史上最高齢の大統領に
当選した場合、実際の大統領の就任は来年の1月。その時点で78歳となるジョー・バイデン氏は、米国史上最高齢の大統領となります。なお、トランプ氏が再選した場合も、74歳で米国史上最高齢の大統領です。今回の大統領選挙、お年寄り同士の戦いとなっています。
出身は現在接戦のペンシルベニア州
多くのマスコミの事前予測通り、ペンシルベニア州が今回の選挙での大きな鍵となっていますが、バイデン氏の生まれは、ブルーカラーの労働者が多いペンシルベニア州の田舎。この場所とは異なりますが、以前出張で似たようなペンシルベニア州の田舎に行ったことがありますが、本当に何もないようなところです。スタバはもちろんなく、朝はダンキンドーナツのコーヒーがおしゃれ、になってしまうぐらいの田舎ぶりで、ダンキンドーナツの広い駐車場がやたら混んでいました(笑)ニューヨーク出身のトランプ氏とは対照的です。
苦労した幼少・学生時代
家は決して裕福ではなく、13歳の時に家族でデラウエア州に引っ越し。デュポンの工場で成り立っている町で、中流階級の人たちが多いエリアでした。選挙演説からは想像もつきませんが、当時は吃音症でいじめに遭い、長い詩を暗記して鏡の前で音読する練習をして克服したそうです。学校へ通うという夢をあきらめず、家計を支えるために学校の窓ふきなどの仕事をしながら通学していたそうです。
大学、結婚、そしてロースクールへ
地元デラウエアの大学に進学し、歴史と政治学を専攻しましたが、アメフト、女の子たち、パーティーにはまっていた最初の2年。大学3年生の春休みに、旅行先のバハマで出会ったシラキュース大(NY州北部にある大学)に通う女性に一瞬で恋に落ち、1965年にデラウエア大学を卒業後、シラキュース大の法学部に進学。そして、その女性と1966年に結婚。
華麗なるキャリアがスタート
ロースクール卒業後は地元デラウエアに戻り、法律事務所での勤務を開始。さらに民主党支持者として地元カウンシルのメンバーに。そして、1971年に自身の法律事務所を開業。1969年から1971年の間に3人の子供に恵まれています。1972年、周囲の後押しで29歳にして上院議員に立候補。共和党の競合対立候補を相手に、家族で選挙運動を推進。妹が選挙対策マネジャー、両親も毎日選挙キャンペーンを行ったかいあって見事当選し、アメリカ史上5番目に若い上院議員となり、政治の世界へ。
順風満帆な社会人生活を襲った悲劇
順風満帆なキャリアのスタートでしたが、1972年のクリスマス直前に大悲劇が。。クリスマスツリーを買いに、奥さんが3人の子供と車で外出中にトラックに追突されてしまい、奥さんと長女が死亡。二人の息子も大けがを負ってしまいます。一時は自殺することも考えたというほどでしたが、周りのサポートで、当選した上院議員の職は辞退しないことを決意。ワシントンDCで行われた宣誓式は欠席し、息子が入院する病院から宣誓をしました。残された幼い2人の息子たちとの時間を大切にするため、議員になったものの、ワシントンDCには引っ越しをせず、長距離列車を使って毎日デラウエア州から通っていたそうです。これは長い議員生活の間しばらく続くことになりました。
長い上院議員としてのキャリア
1973年から2009年までもの長い間、外交政策の専門家として上院議員のキャリアを築いてきたバイデン氏。あまり知られていないかもしれませんが、その間に2度大統領選挙に立候補しています。最初は1987年。しかし、他人のスピーチを模倣した選挙演説が原因で民主党の候補者争いで脱落。選挙キャンペーン中に極度の頭痛になっていたようですが、その原因は重度の脳動脈瘤と判明し、手術することに。複雑な手術で肺の調子も悪くなり、肺の手術も。7か月の休養を経て、議員復帰を果たしました。
オバマ氏の対立候補から右腕へ
2007年に2度目の大統領選へ立候補しましたが、オバマ、ヒラリーに押され、あっさり撤退。オバマ氏がヒラリーを抑えて民主党の大統領候補となった時に、バイデン氏を選挙仲間に指名。労働者階級の出身であるバイデン氏は、混戦州でオバマ氏がブルーカラーの人たちに対して経済回復を訴えて支持を集める際に大いに貢献しました。そして、2009年のオバマ大統領誕生の際に、副大統領に指名されたのです。その後、オバマさんの右腕として、オバマ政権2期にわたり、副大統領を務めました。
新たな悲劇
1977年に再婚し、1981年には娘が誕生したバイデン氏ですが、前妻との間の長男が、2015年に脳腫瘍で46歳にして他界。前妻との間の3人の子供のうち残されたのはハンター氏のみ。オバマ政権の任期満了とともに副大統領の職を終え、いっときはスポットライトが当たる生活から離れましたが、今回、世の中の情勢を見て、当初は全く考えていなかった大統領選挙へ立候補することを決意し、今に至ります。
こうして見てみると、なんとも波乱万丈で濃い人生で驚いてしまいました。トランプ氏とは対照的で、貧しい家庭で生まれ、自分の力で政治の世界で実力をつけてきたこと努力家の人柄がうかがえます。一方で、女性蔑視発言があったり、最近は健忘症の兆候が見られたり、また、今回の投票前には息子、ハンター・バイデン氏のスキャンダルがマスコミにリークされたりと、負の側面があることも忘れてはいけません。もちろん完璧な人はいませんが、こうした汚点があるのはとても残念です。
いまだ決着がつかない今回の選挙で、アメリカの人々が皆今まで以上に認識することになったアメリカという国の「分断」。ここまで国が真っ二つに割れているとは、誰も想像しなかったことでしょう。全く違う2つの国が存在しているかのようと表現しているメディアもありましたが、時代の変化とともに、分断がさらに顕著になっています。もしかしたら来週にならないと、結果が出ないかもしれない大統領選挙。今、世界中の関心が集まっています。
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