トイレの水がどうやっても止まらず、鳴り止まない轟音の中で一晩過ごしたので、その後数日間はトイレが静かなことにちょっとした安堵感を覚えていましたこんな小さなことに小さな平和を感じるのは、海外ならではです。
いまだにビックリのトイレ事件については、こちらからどうぞ
私にものすごいケンカ腰で言いたいことを言ってねじを買いにいったsuperintendent家へ戻ってくると、いつも挨拶すらしないようなその人が、突然私に名前を尋ねてきましたもう顔見知りになってから1年も経つのにいまさらなぜ?と思いつつ名前を告げると、「僕の名前はxxだよ。」との言葉の後に彼が言ったのは、
「I'm sorry for what I said. I really apologize.」
まさかその彼からこんな言葉を聞くとは思わず、しばし立ちすくしていた私に向かって彼はこう続けました
「僕は日本人の友達も何人かいて、一緒に遊びに行ったりするんだけど、彼らは異国の地でストレスを抱えて生きている。そんなとき、僕は「相手の文化を理解することが大切だよ」とアドバイスをしているよ。それなのに、僕はさっき君が「日本ではそんなことない」って言ったときに、即座に「ここは日本じゃない。」って言ってしまった。でも、それは言ってはいけないことだったよ。ごめんね。」
ビジネスの場ではSorryという言葉は使われず、I apologizeという表現が一般的なアメリカ。
Sorryと言うと、完全に自分の非を認めてしまっていて弱みを見せることになるのに対して、I apologizeというと「お詫び申し上げます。」という感じで同じ謝罪でもニュアンスはフォーマルな響きとなります(何かあったら訴えを起こすことが一般的である、訴訟社会アメリカならではの使い分けなのでしょうか。)
そのため、彼がsorryとapologizeの両方の表現で私に謝罪の気持ちを表してきたことは、私にとって小さな驚きでした
海外生活を楽しむために必要なことがいくつかあると思うのですが、そのうちの一つが「相手の文化を尊重する」ということ日本で当たり前と思っていることは、日本の価観で当然なだけであって、海外ではそれが一般的でない、ということはしばしばです。その反対に、日本ではおかしいと思われていることが、海外では普通にまかり通っていることも日常茶飯事。
そうしたときに、自分の国ではそうじゃないから、と母国の殻に閉じこもって相手の行動や考え方を否定してしまうと、海外生活はつまらないし、さらにはとても苦しいものになってしまうと思います。
たとえば、過去記事ではこんなお国柄の違いを話題にしてきました。
いつも愛想が悪くて正直あまり好きでなかったsuperintendentですが、1年経ってやっとほんの少し距離が縮まったのではないか、と思うそんな出来事でした。