NYで食べる

世界一の寿司職人が生まれるまで

カウンターでお寿司を食べるなんて敷居が高すぎて自分とは全く無縁の世界だと思っていた私が、興味本位で牛若丸ののれんをくぐったのは、2年ほど前のことでした。インターネットでひでさんという大将のお寿司を絶賛している人がたくさんいることを知り、ひでさん指名で席を予約してみました。(大将のひでさんについては、世界一の寿司職人人生を語る!からどうぞ。)

通された席は、初顔ということもあり、常連客でにぎわうひでさんの前から少し離れたところ。
お寿司が口の中でとろけていく、初めて味わう感動にただただ驚き、その瞬間からひでさんのお寿司のとりこになりました。

毎週食べに来るお客さんもいるほど固定客を抱えているひでさん!
たまにしか訪れない私のことは絶対記憶にないはずなのですが、3度目ぐらいの訪問でひょんなことから話が弾み、ひでさんの寿司人生を聞くことができました。

NYに少しでも住んだことがある人ならお気づきのはずですが、牛若丸が位置するのはウェストビレッジとソーホーの間。
どの地下鉄の駅からも離れていて、また、日系企業のビジネスの中心地と言われているグランドセントラル駅周辺のミッドタウンエリアとは対極の、古きよき時代のニューヨークらしさが残る地区。私を含め、どうしてこんな不便なところにお店があるんだろう、と不思議に思った人は多いはずです。

開店当初、契約直前までいったミッドタウンの物件のオーナーに最後の最後で裏切られ、契約書にとんでもない条項が織り込まれていたことに気づいたひでさんは、その契約を結ばず、やっとの思いで見つけたのが、現在の牛若丸がある場所だったそうです。
日本人もあまり見かけず、今のようなSUSHIブームもなかったような22年前のニューヨークで、ひでさんが相談した人は皆口を揃えて、立地条件を危惧して、お店を開くことに大反対したそうです。

しかし、「おいしいお寿司を提供すれば、絶対に人はついて来る」との信念のもと、皆の反対を押し切って営業を始めたひでさん。
最初の2,3年はお店には閑古鳥が鳴き、それはそれは大変な経験をされたそうです。

NY衛生局の抜き打ち検査で、生ものを食べるという概念がないアメリカ人検査官に、お寿司のネタの管理方法を理解してもらえず、突然営業停止を命じられたこともあったとか。
ただ、それでも、世界一の寿司職人になり、お寿司のすばらしさを海外で広めたいという信念を崩さず、どんな日も愛情を込めてお寿司を握り続けたひでさんのお店は、今では開店当時の1ヶ月の売上を1日で稼いでしまうほどのお店に発展していきました。

お寿司へのあくなき情熱、決して手を抜かないプロの姿勢、そして、どんな時も前向きの性格。
そんなひでさんを慕うお客さんは多く、開店当初、人の入りを心配して、雨の日に意識的に訪れてくれる人や、「お前のお寿司が食べられなくなったら困るから頑張ってくれ」といって100ドル札100枚を束にしてお店に置いていった熱心なアメリカ人ファンに支えられて、ここまでやって来たそうです。

どんなに有名になっても、決して驕り高ぶることなく、いつも自然体のひでさん。
一見さんでも、常連客でも、ひでさんのお寿司を食べたいと言ってお店に足を運ぶお客さんを皆大切にしてくれるひでさん。
そんなひでさんだからこそ、流行や嗜好の移り変わりが激しいニューヨークで、22年もの長い間、のれんを守り続けられているのだと思います。

次回は、そんなひでさんの驚くべき経営哲学をご紹介したいと思います。


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