自己紹介として、私がなぜNYへ渡ったのかを書いています。
こちらは第3話になりますので、まだの方は第1話、第2話からどうぞ。
ファッショナブルなレストランも続々とオープンし、黒人以外の人たちも住み始めて少しずつイメージが変わりつつあるハーレムですが、当時はまだ危険な地域で、大型の観光バスで、教会の前まで連れていってもらいました。
NYで住んでしばらくするまで知らなかったのですが、抑圧された暮らしを虐げられてきたブラックアメリカンにとって、毎週日曜日に教会で神様とつながることは、自分の存在意義を確かめるとともに、最高の気晴らしなのです。今でも、日曜日朝にハーレムを通ると、どこのパーティーに行くのかと思うようなおしゃれをした教会帰りの人たちを見かけます。
教会によっては、敬虔なクリスチャンしか受け付けない、というポリシーを貫き、今でも一見さんお断りという場所も多いようです。私たちが案内された教会は、「人類みな友達」というようなスローガンを掲げた極めてオープンところで、観光客の私たちにも、どこの国から来たのかを尋ねてくれて、あちこちからぽんぽんと様々な国の名前が挙がり、みんなで仲良く歌を歌いましょう、と会場全体が一体となり、幕を閉じました。
出身国、肌の色、話す言葉、信じる宗教、生活習慣や文化。日本にいた頃は気が付きませんでしたが、広い世界を見渡すと、これらが自分と同じ人はほとんどいません。
これこそが、ハーバード大の留学生が話していた"diversity”(多様性)なのです。
世界中からやって来た多種多様な人々が生き生きと暮らしているNYへの私の恋は募る一方でした。そして、いつかこの都市に住んでみたいという想いはどんどん強くなっていきました。
その後、晴れて就職をして、社会人になりました。
入社前に、希望の部署を3つまで会社に伝えることになっていて、新入社員の希望を優先して配属先が決まるようでした。
日本にいながらにして海外に少しでも近づくためには、国際部以外は考えられませんでした。どうしても国際部が良かったので、第二希望と第三希望には、特に人気があった部署名をあえて書きました。そうすれば、みんなの希望を少しでも通すためには、調整の過程で、私は国際部に行けるのではないかと思ったのです。
そうして、めでたく私は国際部に配属になり、日本でのキャリアがスタートしました。
職場環境には恵まれていて、日本に一時帰国する度に必ず会う大切な友人となった同期、良い上司や後輩と出会いました。
しかし、仕事に慣れた入社3年目が過ぎた頃から、「NY」への想いは日増しに強くなっていきました。
(続く)