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16年目のNY生活を迎えた今、改めて思う私が大切にしていること

今から16年前の8月11日に、私はこの街へ移ってきました。
大学一年生の時に初めて訪れたマンハッタンの街で受けた衝撃は、今でも色鮮やかによみがえってくるほどに、私の脳裏に焼き付いています。その時、何の根拠もなく、「将来私は絶対にこの街に住む」と決めました。

それから10年の時を経て、2009年8月11日が私のニューヨーク移住記念日となりました。

イタリア人夫婦が経営する本格派イタリアンカフェで、ニューヨーク生活16年目を迎えたお祝い

東京で4年半勤めていた大手監査法人を辞め、無職の学生となり、仕事が見つかるあてもない状態での渡米は、傍から見れば大きなリスクある選択に見えたことでしょう。でも、NYに「恋して」いた私にとっては夢あふれる選択にしか思えず、やっと憧れの街に住めるという喜びだけで、不安は全くありませんでした。

知らず知らずのうちに敷かれたレールの上を丁寧に歩んでいく日本での人生に疑問を持ち、大好きな街で暮らそうと思った当時の私のニューヨーク生活は、真っ白なキャンバス状態。数年先すら全く想像もつかなかった当時ですが、なぜかニューヨークに根付いた自分の姿を疑うことはなかったです。

この15年の間にニューヨークの街で多くの経験をして、私の人生、価値観、世界観は大きく変わりましたが、それと同時に、社会も大きく移り変わりました。15年前の2009年はリーマンショックの尾がひく金融不況の時。しかし、オバマさんが政権をとった初年度でもあり、ニューヨーク、そしてアメリカには勢いがありました。その後、大統領は2度変わり、パンデミックによるロックダウンでマンハッタンはゴーストタウンに。力強い復活を遂げたものの、渡米初期の頃に私がよく行っていたレストランやカフェはほぼ姿を消してしまいました。そして、世界へ目を向けると、ウクライナや中東不安。そして、後進国と言われていた国々が台頭する中で、相対的に低下する日本の国力。時代の移り変わりを感じずにはいられません。

私自身は、学生を経てH1Bビザのスポンサーとなってくれる企業と出会い、渡米翌年にニューヨークで就職。その後、グリーンカード取得のために戦略的に転職を行い、仕事に打ち込んできました。そして、パンデミック明けに起業。15年の間に多くの引っ越しも経験し、今の家は7軒目。私自身を取り巻く環境は大きく変化しました。

でも、渡米当初から変わっていないことは、人とのご縁。

生き馬の目を抜く街とも言われるニューヨークにはいろいろな人がいます。恩が仇となって返ってくることもある街。でも、私のニューヨーク生活でのどのような大きな節目、そして小さな節目も、私の努力だけでは成しえなかったことは間違いありません。

人生は小説よりも奇なりと言いますが、大なり小なりの様々な展開は、毎回、不思議なご縁から生まれているのです。たまたま行ったイベントで知り合った方は最初の就職先となったある日本の会社の方を紹介してくれました。今思えば、会って少ししか話していない私によく仕事の紹介をしてくれたと思います(その方は人材紹介業をしているわけでもないので、単純に好意からしてくださったのです)。初めての米系企業への就職のきっかけは、ある日突然届いた日本で働いていた時の上司からの一本のメールから始まりました。それを世の人は引き寄せの法則、と呼ぶのでしょうか。こうした不思議なご縁やきっかけに恵まれてきたのが私のニューヨーク生活です。

16年目を迎えた今、改めて、私を様々な形でサポートくださっている方々に感謝!これからも、人との出会いや人生の経験を大切にしていきたいと思います。

私が溺愛してやまないみーちゃんとの出会いもドラマチック。コロナによるロックダウン中の出会いは、日本のメディアにも取材いただきました。

ただただ憧れの対象だったニューヨークの街は今では私の第二の故郷となり、ニューヨークと私の関係も大きく変化しましたが、ニューヨークだからこそできる体験や触れられる価値観をフィルターなしで発信し、このブログを訪れてくれる読者のみなさんが、元気になったり、何か刺激を得られたりできるような記事を発信していきたいという思いはこのブログ開設当初から変わっていません。

これからもどうぞよろしくお願いします!

 

(カバー写真は、パブリックビューイングが行われていたロックフェラーセンターの様子)


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