様々な年代の人と知り合う機会があるのは、ニューヨーク生活の醍醐味の一つです。私がニューヨークに初めて足を踏み入れたのは、大学一年生の時、1990年代が終わろうとしている頃でしたが、私より年上で若くしてニューヨークにやってきた友人たちの中には、1980年代のニューヨークを知っているという人もいます。
今や普通に歩いているようなマンハッタンの中心部ですらも危なかった時代。そんな頃にニューヨークに移り住んで以来ニューヨーク在住という友人たちから自分が知らない時代のニューヨークの昔話を聞くことは、歴史好きな私の楽しみでもあります。
移り変わりの激しいこの街では、いまや失われてしまったものも少なくありません。私がこの街に移った2009年から今までを振り返ってもその変化には目を見張るものがあるので、もっと長いスパンでこの街を見ると、さらにその変化に驚くことが多いことでしょう。
最近出会った本、「ハーレムの熱い日々」の作者である吉田ルイ子さんは、なんと1960年代にニューヨーク、それも、ハーレムにお住まいでした。
ハーレムは、アフリカンアメリカンの人たちが多く住む地域。貧困等様々な理由から、マンハッタンの中でも特に治安が悪い地域として知られてきました。ここ10年ほどは、より手ごろな家賃を求めてマンハッタン中心部から移ってくる人たちも増えていることから、だいぶ雰囲気も変わってきたと言われています。
1960年代と言えば、マンハッタンの中で安全な場所が少なかった頃ではないでしょうか。そんな時代に、ニューヨークで暮らしていた日本人は数えるほどしかいなかったと思いますが、その一人が、留学生として渡米した吉田さんでした。
オハイオ大学からコロンビア大学(ハーレムの西に位置しています)に移り、コロンビア大学の大学院で学んでいた白人男性と結婚。結婚して間もない頃に訪れた大学の住宅相談室で勧められたハーレムの125丁目アムステルダム街に新しく建てられた団地への入居が、吉田さんのハーレム生活の始まりとなりました。
市がスラム一掃計画の一つとして、ハーレムの古い建物を壊して新しく団地を建て、その地域の黒人たちを入居させている中で、再びこのエリアがスラム化してしまうことを防ぐために、コロンビア大学の社会福祉課と市が協力して、実験的にコロンビアの学生夫婦にも入居してもらい、黒人と白人の交流をはかろうとしていたそうで、吉田さん夫婦はそのプログラムを通じてハーレムのアパートに入居したのです。
黒人差別が常習化していた社会の中で、たくましく生きる黒人たちの社会に自ら入り込み、プロのカメラマンとして、そうした彼らの生きざまを間近で撮影してきた吉田さん。同じアパートの子供たち、その家族との交流、迷い込んだハーレムのバーで写真撮影に怒ったお客さんに銃を突き付けられた話、当時スイカは黒人の食べ物としてハーレムの路上で夏になるとスイカがたくさん売られていたこと、などなど、1960年代の生きたハーレムを知る唯一とも言える日本人女性、それもカメラマンとしてのフィルターを通して綴られたエピソードは、今や貴重な歴史的資料とも言えるのではないかと思います。
この本は、ハーレムの発展を知るヒント、さらには、日本人がほとんどいなかったであろう時代に自分の直観と熱意に従ってこの街でたくましく生きた日本人女性の生き様を垣間見る貴重なエッセーです。