マンハッタンの地図を広げると、ほぼ真ん中に位置し、その名のとおりNYを象徴する駅、グランドセントラル。アップステートと呼ばれるNY北部の郊外へと伸びる長距離列車の終着点でもあり、そうしたエリアから通勤してくる日本人通勤客の利便性から、この駅の周りには日系企業の多くがオフィスを構え、日本食レストランも充実し、NY在住の日本人にとってもとてもなじみのある駅です。
「駅を好き」というのはちょっと変わった表現かもしれませんが、この駅は何度通っても飽きることがなく、そして普通の駅としての機能を超えたあらゆる魅力を兼ね備えているという点で、世界的にも稀有な駅なのではないかと、最近ふと思いました。
これから数回に分けて、グランドセントラル駅を探検してみたいと思います。
まずは、グランドセントラルにまつわる意外と知られていない面白いお話から。
1. 今年は生誕100周年
グランドセントラルが現在の場所で現在の姿として動き出したのは1913年。今年は100年の節目の年にあたります。年間を通じて100周年関連の行事が行われてきましたが、その一環として11月21日から12月26日まで行われているのが、メインエリアのライトアップ。東芝がLEDランプを納入したことから、日本人のライティングデザイナーの方の照明が、クリスマスのこの駅に華を添えています。
2. 駅誕生のきっかけは悲惨な事故から
日本の一部メディアでも報道されていましたが、thanksgivingの4連休の最終日の朝、郊外からこの駅に向かうハドソン線が脱線。死者4人を含む多数の重傷者を出すという悲惨な事故が起こりました。お亡くなりになった方の一人は、NYのクリスマスの風物詩となっているロックフェラーセンターのクリスマスツリーの照明を行う技工士の方だったそうです。居眠り運転かもしれないといわれているものの、事故の原因はいまだ調査中。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。
1902年、まだ蒸気機関車が使われていた頃、蒸気によるすすで視界が見えず、グランドセントラル近くで列車が衝突し、15人の死者を出すという事故が起こってしまいました。これを機に、電気を使った電車が導入されることとなり、現在の姿となる駅が完成したのです。
この駅の完成により、周辺の地価が上昇し、ミッドタウンイーストと呼ばれる現在の商業エリアへと発展していきました。
3. 正式名称はGrand Central Stationではない
なんと、この駅の正式名称は、Grand Central Terminalというそうです。日本語でいえば、いずれにしても、グランドセントラル駅となりますが、グランドセントラルは、現在の姿になってからは、郊外から来る列車はここが終点、つまり終着駅(terminal)となったことから、このように呼ばれるようです。
なお、Grand Central Stationとは、この駅内に入っている郵便局を指します。
4. 秘密のトラック61
グランドセントラルは多くの乗降客で完成当時からにぎわっていたようです。その喧騒を避けて移動することを可能としたのが、第二次世界大戦中に指揮をとったフランクリン・ルーズベルト大統領。グランドセントラルとその近くにあるウォードルフ・アストリアホテルをつなぐ壮大なトラックを作ってしまったのです。ウォードルフ・アストリアホテル側の業務用エレベーターは、大統領のリムジンも運べるほどの広さがあったそうです。
5. グランドセントラル最大の欠陥
これはよく知られている話ですが、メインエリアの天井に描かれている星座は逆になっています。通勤客が指摘するまで発見されず、どうしてこうしたミスが起こってしまったかはいまだに謎に包まれています。
次回以降では、グランドセントラル駅構内の見所を紹介していきたいと思います。