共通の話題があれば、打ち解けやすいのは、どこの国でも同じこと。中国人や韓国人であれば、日本のことも、私たちが思っている以上によく知っているし、アジア人特有のあうんの呼吸のようなものがありますが、いわゆるアメリカ人はそうはいきません。
オフィスで知り合うネイティブの人たちは、日本に行ったことがあるわけではなく、また、日本人や日本のことを知っているわけでもないし、また、私自身もアメリカの芸能人も詳しくなければ、知っているテレビ番組もかなり限られているので、お互いの共通点を見つけるのは、至難の業です。
学校教育の影響なのか、大学教育まで受けたアメリカ人でも、日本が日米安保条約の同盟国であることはおろか、第二次世界大戦後に日本に数多くの米軍基地が置かれていること(米軍基地があることは知っていても、その背景は全く知りません。)、ましてや日本の首相の名前すら知りません。
また、他国からアメリカにやってきた移民たちと私との間にも、お互いにお互いの国のことを知らなさすぎて、共通点を見つけるのは、困難です。
そんな、一見全く接点のない彼らと仲良くなるいは、どうしたら良いでしょうか。
ある時、その答えは、かなりシンプルなところにあることに気がつきました。
それは、たとえ見た目や母国語、食事や文化が違っても、人間としての本質は変わらないということです。
私がうれしいと思うこと、悲しいと思うこと、面白いと思うこと、つまらないと思うこと、といった自然に感じる感情は、彼らも同じように感じているのです。
もちろん、文化の違いがあり、日本のほうが色々とお固い規則があるので、日本で失礼なこと(例えば、社内のミーティング中に食事をすること)は、アメリカでは全くそう出なかったりもしますが(アメリカでは、ミーティング中にピザが出てきたりします!)、アメリカで失礼にあたることは私もそのように感じるし、「喜怒哀楽」の根本部分は、日本とアメリカ、しいては、世界共通の価値観なのです。
私の面倒を色々と見てくれた、前回の記事にも登場したエクアドル人の女の子に、仲良くなってから一年ぐらい経った何かの折に、「いつも色々とありがとう。」と伝えたら、それは、"You seemed to be a good person."だからだよ、と言われて、そんな風に思ってくれていたんだ、と思いました。
言葉が不自由な状態では、なかなか日本語のように流暢に会話することは難しいですが、言葉以前に、相手に真摯に向き合い、相手が困っている時に力になったり、何かしてもらったら丁寧にお礼を言ったり、といった小さな積み重ねが、身近な友人を作る第一歩のように思います。
そして、少数でも周りにそうした友人ができれば、彼らの輪にいるうちに、英語も少しずつ聞き取れるようになってくるし、彼らがどんなことを話しているのかも垣間見れるようになってきます。
この話題、さらに続きます。
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