ニューヨークで暮らしていると、中国人に間違われる場面が割とあります。
私の顔立ちは、見る人が見たらどう見ても日本人だと思いますし、以前バリ島の現地ガイドさんにしきりに言われたように、アジアの中ではインドネシア人に近いかもしれません。
でも、ニューヨークで間違われるのはなぜか中国人。
(久しぶりにつるとんたんに行きました。ウニうどん、安定の美味しさです。)
今日、お気に入りのワンピースを着て歩いていたら、突然車の中から「ニーハオ!」と大声で呼びかけてきた変なおじさんがいて、改めて中国人と間違われるたびに感じる違和感について考えてみました。
私は、アメリカ人にであれ中国人にであれ、中国人と間違われると、違和感を感じてきました。
「私は日本人なんですけどー!」とその度に心の中で叫びつつ、中国人に「你好」と言われたときには無視、アメリカ人に「ニーハオ」と言われたら、"I'm not Chinese."と答えています。
ニューヨークの在住年数と英語力が比例しないことはこのブログで何度か書いてきましたが、驚くことに、ニューヨークには、英語で道を聞くこともままならないニューヨーク在住歴の長い中国人がたくさんいます。そもそも英語を学ぶ気もなく、中国人とばかり集い、日常生活はチャイナタウンで完結、という人が一定数いるのです。そのため、アメリカにいるのに「你好」と気軽に道を聞いてくるのです。私は中国語は全く話せないので中国語で道案内はできないですし、そもそも公用語が英語の場所で堂々と中国語で話してこようとする人たちはおかしいと思うので、ある時から無視することにしました。(こうした人たちは英語が一切分からないので、彼らに英語で道案内をしてあげることもできないのです) そして、なぜ中国人なのに日本人の私を中国人と間違えたのだろう、とすこしいらっとするのです。
(ブルックリンでたまに見かけるこのアート。いったい誰が描いているのでしょうか)
一方、アメリカ人に「ニーハオ」と言われたときには、中国人に言われたときとは違う違和感が残ります。
それはどうしてでしょうか。なぜ私は「こんにちは」と話しかけられなかったのだろうか、という想いが根底にあるからだと思います。
黒髪のアジア人=中国人、というのはとても短絡的な発想です。でも、裏を返せば、それだけ中国人がニューヨークに多いということなのだと思います。そして、中国語が一切話せないアメリカ人でも、「ニーハオ」という挨拶は知っているのです。
ちょっとした出来事かもしれませんが、ここで、突発的にアメリカ人の口から「こんにちは」という言葉が出てこないのは、日本の地位の低下を示しているような気がしてなりません。
(週末もがらがらのロックフェラーセンター。この記事のトップ画像もロックフェラーセンター近くです。銅像もマスク着用中)
1989年の三菱地所によるロックフェラーセンターの買収を筆頭に、バブル時代には地銀までもがこぞってニューヨークにオフィスを構え、ソニーは自社ビルを保有してその最上階に高級レストランを構えるなど、ニューヨークで日本はそれなりの存在感を示していました。このようなときであれば、黒髪にアジア人=中国人、とはならなかったのだと思います。もしかしたら「こんにちは」と、アメリカ人に話しかけられていたかもしれません。
(最近すごい話を聞きました。このValentinoが入居している5番街のビルですが、元々は高島屋の自社ビル、そして高島屋のデパートの場所だったのです。高島屋の撤退後、Valentinoは建物の下半分ぐらいを使っていますが、上は高島屋の自社ビル時代だった時のまま。そして、高島屋の「髙」(高の旧字体)をイメージした建物のトップ部分は、当時のまま残っています。)
そう考えると、ニューヨークで唯一だった日系デパート、高島屋が2010年に撤退したときには、もう日本衰退の兆候はあったかもしれません。
日本がニューヨークで再び輝く日は来るのでしょうか。