NYに来て驚いたことの一つが、社会進出している女性の多さです。
日本でも、時代の流れとともに、もちろん昭和の時代よりも現代のほうが、結婚し、子育てをしながらでも働いている人も多いし、男性と同じような仕事をてきぱきとこなしている女性たちも増えてきていると思いますが、社会で活躍している女性の数、そして活躍度では、アメリカの足元にも及ばないと思います。
まだ日本での社会人経験のほうが若干長い私は、いまだに、社内で様々な年代の女性社員(後日書きたいと思いますが、アメリカには一般職と総合職という区分けはなく、通常の就職は総合職のみです。)がさっそうと歩いている姿を見たり、会社の大きな研修で女性が代表として壇上でてきぱきと会を進めているのを見たりすると、「女性なのに」すごいなー、と思ってしまうのですが、男性と女性しかいないこの世界で、会社に半数ぐらいは女性がいるのは、ごくごく当たり前だと思ったほうが自然なのかもしれません。
グランドセントラル駅とタイムズスクエア駅をつなぐわずか1区間だけ走る数量の列車、通称シャトル。社内はいつもテーマを持った広告でにぎやかです。先日は、オレンジジュースの会社の広告で、中は全部オレンジ色に染まっていました。
昨日もニュースで、ニューヨークの象徴とも言える新聞社、ニューヨークタイムズに初の女性編集長が誕生することが大きく報道されていました。
自由と平等を謳うアメリカ社会において、「女性だから」とか「xx人だから」、「xx歳だから」といった、恣意的な区切りで人を分類することは差別に当たります。
それが一番如実に現れるのは、就職活動のときの履歴書(resume)。
驚くべきことに、会社ごとに用意されたり、書店で売っているような履歴書は存在しません。アメリカでは、履歴書は、自分で白紙の状態から作っていくのです。
もちろん、一般的に書くべきことはそれとなく決まってはいますが、それをどんな字体、文字のサイズで書くのか、そして構成はどうするのか、どこまで書くのか、は完全に個人の自由に委ねられているのです。
そして、私が大きな衝撃を受けたのは、履歴書に書くことがそもそも想定されていず、面接で聞かれることのないことのほとんどが、日本で就職試験のときに必ずといっていいほど考慮される内容であったことです。
それは、年齢、性別、外見(顔写真)。また、人種も選考の対象外です。
もちろん、大学の卒業年や職歴からおよその年齢は想像できますが、履歴書に顔写真を貼ることは絶対にないので、本人が面接に現れるまで、会社側は、その人がどんな雰囲気であるのかを知ることはありません。
また、面接の場でも、年齢や人種を聞くことは完全にタブー。こうした要素が採用に影響を与えることは断固として認められないことなのです。以前、第一線で活躍している日本人カメラマンの知人が、どう頑張っても、ジェニファーロペスの仕事はとれても、マドンナの仕事はとれない、と話していました。もちろん、白人が多い世界。そうした目に見えない壁はあることでしょう。しかし、オバマさんが大統領であることが象徴しているように、今まで暗黙の了解と思われていたことを破ることは、アメリカでは可能なのです。
NYには生き生きした女性が多いですが、それは、自分の生活スタイルを守りながらも、社会で活躍できる場がきちんと与えられていることによると思います。表には出てきませんが、様々な分野で自分の道を切り開いているすてきな日本人女性も数多くいるのが、NYの魅力でもあります。
アメリカ社会について、そして、アメリカで働く女性たちについて、日本と比較しながら、このブログでも少しずつ紹介していきたいと思います。