この郵便局はカウンターも多く、一列に並んで、空いているカウンターに次々に呼ばれていくシステムです。
私が送ろうとした郵送物のラベルに少し不備があり、また列に並び直さなくても良いように、カウンターの横で少し修正するように言われて、作業をしていると、両手で抱えるぐらいの大きさの箱を持った男性がカウンターにやって来ました。
私は自分のラベル作成に追われていて、どんな男性か見る余裕はなかったのですが、郵便局の担当者とこんな会話を交わしていました。
郵便局員 "What's inside your package?"
男性 "......???"
郵便局員 "What's inside your package?"
男性 "......???"
郵便局員 "What's inside your package? Marijuana??"
男性 "Oh... No.. It's xxx."
あれっと思って顔を上げた時、その男性が日本人のように見えたので、日本語で話しかけてみたほうがいいかなと思っている間に会話は終わって、郵便局員の質問がうまく男性に伝わりました。
この場面から感じtたのは、日本での英語教育の限界です。
"What's inside your package""が教科書に書いてあったら、中学1年生でもその意味は分かるでしょう。
ただ、読むという受動的行為に大きな比重を置いている日本の英語教育は、ネイティブの世界で繰り広げられている生きた英語を教えてくれません。日本のリスニングの勉強では、たとえネイティブの先生の英語でも、はっきり、そしてゆっくりした英語です。
でも、アメリカでは、日本のリスニングのテープで聞いていたように話す人は誰もいません。ネイティブの英語は速い上に、アメリカ英語では抑揚も強いので、でこぼこに聞こえてきます。そのため、今回のような現象が生じてしまったのだと思いますが、英語はあくまでコミュニケーション手段にしか過ぎないので、たとえ日本での英語の勉強で意味が分かったとしても、ネイティブの人とコミュニケーションがとれなくては、全く意味がなくなってしまいます。
そのため、日本での英語教育は、教科書を読んで1章ずつ進んでいくという方法ではなく、本物の映画やドラマの短い場面を見て、真似して話したり、その中に出てくる単語や表現を学んだりといった、もっと実践的なものに変革していく必要があるのではないかと感じています。
日本人は働き者で、他のどこの国の人よりもきちんとしているのに、英語が原因で外に出られず、日本の国際競争力が低下してしまうのは、とてももったいないです。