私がNYへ渡るまで8

この記事は、私がNYへ渡るまでの想いや転機となった出来事について書いています。
連載記事ですので、過去6話がまだの方は、こちらからどうぞ。
ご挨拶&私がNYへ渡るまで
私がNYへ渡るまで2
私がNYへ渡るまで3
私がNYへ渡るまで4
私がNYへ渡るまで5
私がNYへ渡るまで6
私がNYへ渡るまで7

8年前の渡米と同時に始めたブログですが、きちんとした自己紹介文を書いていなかったことに気がついて、こちらのワードプレスへの移行と同時に、私の渡米までの想いを綴ってきました。前回の大使館面接での出来事をもって、私の日本での渡米準備は幕を閉じましたので、この自己紹介シリーズは今回で最終回にさせていただきたいと思います。

渡米時の目標といえば、NYに住み、日本でのキャリアが生かせる仕事について、ゆくゆくはグリーンカードを取得する、ということでした。
振り返ってみると、快晴の日もあれば、予期せぬ津波に巻き込まれて抜け出すのに労力を要したこともあったり、NYに住んだことがある人ならば誰しも経験済みの、日本にいる時には想像もつかないような浮き沈みのある航海でしたが、最近になってようやく波に飲まれず、自分で自分の船を操縦できるようになりました。

海外に腰を据えて住んだことがなかった私にとって、NYでの暮らしに期待していたのは、日本で壁を感じていた自分の英語力を伸ばして、NYの生活に溶け込むことでした。日本からはNYという場所が遠すぎて、それ以上に何かを想像することは正直なところできませんでした。

しかし、8年経った今確実に言えることは、NYに来たおかげで、私の人生は確実に彩り豊かになった、ということです。英語の力を少しずつ伸ばしていく中で、アメリカ人の同僚たちが普段考えていることを知ったり、アメリカ流のビジネスのやり方を学んだり、アメリカのニュースに触れてアメリカという国をもっと知ったり、日本にいた時には不思議に思っていたアメリカの考え方を理解したり、今まで世界地図でしか眺めたことがなかった国の人たちと繋がってリアルな交流ができたり、そんな人たちから見た日本の姿から客観的に日本という国について考えたりと、英語という枠をはるかに超えたところへ私の世界観は広がっていきました。これは、渡米前には想像もつかなかったことで、それに気づき始めた数年前から、このブログでは、アメリカから見た日本について、そして、私がNYでの生活を通して感じたこと、さらには、日本から海外へと旅立ってみたい人向けの記事を載せてきました。

その想いは今後も変わりません。このブログが、NYが好きな人、NYでの暮らしに興味がある人にとって、現地の生の声が聞ける場所、そして、日本から世界を目指したい人にとって彼らの夢を後押しする場所になることができましたらうれしいです。

NYでのこの8年間の珍道中は、過去記事をぜひご覧ください。まだ全ての記事の移行が終わっていませんが、ワードプレスになってから、一つの記事でも複数のカテゴリーに分類できるようになったので、興味あるカテゴリーの記事から見ていっていただけたらと思います。

この渡米までのシリーズは今回で終わりますが、これからも、どうぞよろしくお願いします。

私がNYへ渡るまで7

この記事は、私がNYへ渡るまでの想いや転機となった出来事について書いています。
連載記事ですので、過去6話がまだの方は、こちらからどうぞ。
ご挨拶&私がNYへ渡るまで
私がNYへ渡るまで2
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私がNYへ渡るまで6

 

アメリカ大使館での面接は、2つのパートに分かれます。
指紋採取と大使館職員との面接。

重要なのは、もちろん大使館職員との面接ですが、毎日たくさんの人たちが訪れるので、職員面接の窓口はいくつか用意されていて、名前が呼ばれたら、指定された窓口へと面接へ行く仕組みになっています。

恐そうなおじさんから、若くて親切お姉さんまで、色々な職員の方がいるので、どの職員に当たるかは、ほぼ運命です。
運悪く厳しい職員に当たり、面接で落とされてしまった私。
本来であれば、そこで全てが終わりです。

その後NYで出会ったどの友人に話しても驚かれるのは、私にはまだチャンスが残されていたのです。その職員に、「ビザはあげられない。この窓口に長い列ができてしまっていて後ろで待っている人たちがいるから、列の最後尾に並び直しなさい。」とだけ言われました。

頭の中はNYでいっぱいになっていた私は、列に並び直しながら、この職員をどうやって説得するかを考えていました。
そして、2度目の面接。ここでも、職員の態度が変わることはありませんでした。
でも、後から考えれば不思議なことに、また、最初の面接と同じ展開になったのです。
列の最後尾に並ぶように指示されました。

そして迎えた3度目の面接。
ここでも押し問答が続きましたが、最後は英語で話していても埒が明かないと思い、日本語でわーっと畳み掛けるように話したら、ついに向こうが折れて、めでたく学生ビザが発行されました。

そして、2009年8月11日の渡米へと繋がったのです。

私は、NYにいる時が、どこにいる時よりも元気でエネルギーに満ち溢れていて、最近、そのことを以前にも増して感じるようになっています。
スピリチュアルな世界とつながることができ、あまりに正確な天性のリーディング能力でNYで最近人気のアメリカ人女性にも、あなたはNYにいる運命にある、と断言されたのも納得です。

間もなく迎える渡米8周年を前に、大好きなこの地で毎日楽しく暮らせていることを感謝する毎日です。

(続く)

*表紙の写真は、路上で無料で詩を作ってくれるお兄さんと詩を求めて列を成す人たち。それぞれの人に違った詩を作ってくれるようで、ぱちぱちとタイプライターを打っています。私にはどんな詩を作ってくれるのでしょうか。今度ぜひ試してみたいと思います。

私がNYへ渡るまで6

この記事は、私がNYへ渡るまでの想いや転機となった出来事について書いています。
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ご挨拶&私がNYへ渡るまで
私がNYへ渡るまで2
私がNYへ渡るまで3
私がNYへ渡るまで4
私がNYへ渡るまで5

今から思えば、私が渡米した時期は、私にとって絶好のタイミングでした。
H1Bというアメリカで就労する際の一番一般的な就労ビザは、ここ数年は、応募数の増加により、抽選で3分の1の人にしか与えられません。そのため、大学や大学院を卒業した人が1年間合法的にアメリカで働ける権利であるOPTのない人にとって、アメリカで働くことはほぼ不可能という状況になっています。

私の渡米後数年で、ビザをめぐる状況は、180度変わってしまったのです。
私が渡米した2009年は、まだリーマンショックの尾を引いて、就労ビザの枠は余っているけれども、ビザのサポートをしてくれる会社がほとんどない、という状況でした。
この状況の中、就労ビザを獲得することもかなりの困難が伴いましたが、現在のように抽選で落とされてしまうというような、自分の力でどうにもならないという状況ではなかったので、それだけは幸いでした。

アメリカの語学学校での手続きがきちんと終われば、あとはもう渡米するのみ、と思っていたので、アメリカ大使館でのビザ面接は、私にとって、ただの通過儀礼のようなものでした。
必要書類はきちんと集めていったものの、ビザ面接の準備は全く行っていませんでした。
それが災いし、たまたま当たった厳しい面接官に渡米の理由がアメリカに永住することではないかと疑われ(もともとそのつもりでしたが、面接の時にそうした素振りを見せては絶対にいけません!!!)、面接に落とされてしまいました。

後から知ったことですが、アメリカの基本姿勢は、アメリカの発展に貢献してくれるような人(研究者、スポーツ選手等)、アメリカにお金を落としてくれる人やアメリカ人に仕事をもたらしてくれる人(多額のお金を持っている投資家)にアメリカに来てほしい、というもので、この考えは、どの人が大統領になっても大きくぶれることがありません。
その一方で、こうしたスペックがないのにアメリカに居残ろうとする人たちは、アメリカ人の仕事を奪ったりすると敬遠され、アメリカが気をつけているのは、アメリカ人との結婚により、グリーンカード、さらには市民権を獲得して、合法的にアメリカに居座る人たちなのです。

どのような人がそのようになりやすいかとアメリカが考えているかいうと、
・結婚適齢期の人(20代後半から30代前半)
・英語での基本的なコミュニケーションができる人(アメリカ人と結婚するためには、ある程度の意思疎通が必要です。)
・独身女性(アメリカ人女性はアメリカ人男性と結婚するケースが多いので、国際結婚は、アメリカ人男性と異国の女性のケースが一般的です。)

私は純粋にアメリカできちんと英語を勉強し、アメリカで働くことしか考えていなかったのですが、後から思うと、アメリカ大使館がマークする条件を全て満たしてしまっていました。
全然足りていなかったのものの、一応相手の言うことを理解し、正しい文法できちんと面接官に返答しようとしていたので、「英語でのコミュニケーションに問題がないし、日本できちんとした仕事があるのに、なんでその仕事を辞めてまで渡米する必要があるのか。」と面接官にしきりに聞かれました。もっと英語をブラッシュアップしたいということを伝えましたが、面接官とは押し問答になり、埒があきませんでした。
まさかこんなところで引っかかるとは思っていなかったので、退職届も提出した後のことでした。

(続く)

私がNYへ渡るまで5

この記事は、私がNYへ渡るまでの想いや転機となった出来事について書いています。
連載記事ですので、過去4話がまだの方は、こちらからどうぞ。
ご挨拶&私がNYへ渡るまで
私がNYへ渡るまで2
私がNYへ渡るまで3
私がNYへ渡るまで4

社会人になってからの渡米であれば大学院やMBA留学が王道なので、週末にこっそりMBA受験の説明会に行ってみたりもしましたが、受験にはエッセイもいるし、英語のテストもかなり高い点数がいるので、まずはこの専門学校で準備が必要です、といったお堅い感じで、一体私の渡米はいつになってしまうのでしょう、という感じでした。それに、アメリカの目が飛び出るような学費に加えて生活費を貯金からまかなうことも難しいことは分かっていました。

そこで、そうしたルートもあっさり選択肢から抜けていきました。

最後に残ったのは、語学学校へ籍を置くことでした。
アメリカは旅行者であれば、日本人の場合、3ヶ月間はビザなくして(ESTAのみ)で滞在できますが、それ以上の期間の滞在となると合法的なビザが必要です。仕事で渡米する場合にはそれなりのビザが用意されるので問題ありませんが、私のように仕事が現地にあるわけでもない人の場合、語学学校に行き、学生ビザを手に入れる、ということ選択肢しか残されていませんでした。

こうした留学生向けのビジネスとして、留学斡旋企業は多々ありますが、大切な貯金は現地に渡ってから使おうと決めていたし、そもそもNYで暮らしていこうとしているので、学校への提出書類や入学の手続きは全て英語とは言え自分でやらなくてはその先の生活がおぼつかないのではないかと思い、学校のHPから必要書類をダウンロードし、見よう見まねで書類を作り、申し込み手続きを済ませました。(後から思えば、この判断は正解だったと思います。やはり、現地に行ってから求められる英語力は思っていた以上に高いものだったし、そんな中で本当に現地で暮らしていくためには、できることは自分でやる、という意気込みが重要だったと思います。そしてなにより、留学斡旋機関の手数料は驚くほどに高いので、これから留学をお考えの方は、自力で手続きすることをお勧めします。少し書類に不備があっても、学校側はお客さん相手なので丁寧に対応してくれます。)

そして、最後は学生ビザの手続き。
こちらも、アメリカ大使館のHP等を参考にしながら、一人で作業を進め、その一方で、会社には正式に退職届けを提出しました。

後は大使館面接に行ってビザをもらって渡米するのみ、という時に、驚くべき事件が起きました。

(続く)

私がNYへ渡るまで2

こちらは、前回のブログからの続きで、私がなぜNYへ渡ったのか、そしてそれまでの間、どんなことをしていたのかを書いてみたいと思います。(前回の記事がまだの方は、こちらからどうぞ。)

あれは大学4年生の夏休みだったと思います。同じ国際交流のサークルの友達で、英語が上手く、私と同じように海外に興味がある友人と、アメリカを旅しました。ロスアンゼルス、ボストン、そして最後の旅先はNYでした。

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