気が付いたらニューヨークはすっかり秋。朝晩は急に冷え込み始めました。今から10月前半までの短い間の寒すぎないず、でも暑くないこの秋独特の雰囲気が私は大好きです。
コロナで世の中は大騒ぎしている中でも、健康に気をつけながら、素晴らしい夏を過ごすことができました。こんな中でも長年の夢が叶ったり。制約多い中でのこの夏の思い出は別途記事にしたいと思いますが、今日は久しぶりに聞いたこの言葉について書いてみたいと思います。
「あとXX歳若かったら...」
意外と日本で耳にする言葉ですが、こちらでは聞いたことがありません。皆人生に読点を打つまで、人生を謳歌しているからです。
90代に入っても現役のバリバリの書道講師で日々新しいことを探究していたり、80代に突入してもアーティストとして長年の夢を叶えるべく動き回っていたり、人生の折り返し地点と言われる年齢を超えてから再婚して幸せな第二の人生を歩み出したり、40代近くになってから自分が本当にやりたいことに本腰入れ始めたり、留学経験もないのにアラサーで単身渡米したり(最後の2つは自分自身のことです)。
ニューヨークには、誰かに流されることなく、自分自身の人生を精一杯生きている人ばかりです。他人軸ではなく自分軸。傍からどう見られるかではなく、自分がどうしたいか。そのため、年齢など関係ないのです。
例えば、若いうち、できれば大学生のうちに留学した方が良いとよく言われますが、それも人それぞれで、大学時代を逃してしまったからと言ってもうチャンスがないわけではありません。
私の場合、日本で働いてから渡米したため、ニューヨークへ来たのは30歳の誕生日を迎える2ヶ月前のことでした。もちろんもっと早く会社を辞めてとべすることもできたかもしれませんが、今振り返ってもこのタイミングでだったからこそ、履歴書にそれなりの職歴を載せることができてそれがニューヨークでの最初の仕事やそれ以降の転職でポジションを掴んだ決め手となりました。
そして、米国に子会社を構える多くの日本企業のプロジェクトに携わりましたが、私の部署内でクライアントは2つに大きく分けられていました。
・主要ポジションをアメリカ人が占めているため、英語力を必要とするクライアント
・主要ポジションを日本人駐在員が占めているため、敬語を含めて日本的ビジネス対応を必要とするクライアント
アメリカで生まれ育った日本人やハーフの人、大学がアメリカで日本で職務経験がない人は前者のクライアント対応は得意だけれども、日本語のビジネスメールが書けなかったり仕事で必要とされる日本的感覚が分からないため、後者のクライアントの対応は絶対に無理。
一方で日本からの駐在員は知識はすごいけれども英語の苦手意識が強くて前者のクライアントは無理。
両方対応できる人材はあまりいなかったため、日本で職歴があり、ニューヨークでは米系企業でやってきた経験がある私は、バイリンガルのようにはもちろん喋れないけれども、どちらのクライアントも大丈夫な人材として社内でカウントしてもらっていました。
このように、若ければ若いうちに外に出ていれば絶対に良い、とは一概には言えません。
また、自分が本当にやりたいことも、色々経験してこそはっきりしてくるので、例えば50代になって何かに取り組み始めても遅くはないのです。
アメリカでは、誰も年齢の話をしませんし、XX歳だからもう年とってるなんていう人もいません。そのため、仕事で関わりがあった方から、こちらで会ったときにも、先日メールでも、「あの時留学していれば、、、」「whitecatさんのように若い時に渡米していれば、、」と言われて、すごく違和感を持つと同時に、私だって「日本では」とべえ適齢期と言えるような年でこちらに来てないし、一体渡米適齢期なんて誰がどうやって決めて、どうしてそれが正しいと分かるの?と思ってしまいました。
その時思ったのですが、結局のところ、そういうのは、自分が行動できていないことへの言い訳なんだろうなと思います。たとえ50代で留学できていないと思ったとしても長い人生、平均寿命まで生きたとしたらあと30年以上。ずっと留学できずにいたことを後悔するにはあまりに長すぎます。宇宙旅行のようなものであれば、思い立ってすぐというわけにはいかないですが、それ以外のことであればなんとか融通がつくのではないかと思ってしまいます。
スティーブ・ジョブスが行ったスタンフォード大学での有名な卒業式でのスピーチの中に、「今日が人生最後の日だったらと思って毎日生きよう」という言葉がありました。コレを日々実践するのは難しいですが、自分がやりたいと思い続けていることは少しずつでも実現に向けて動いていきたいです。