前回の更新からだいぶ間が空いてしまいましたが、その間に、NYはすっかり秋を迎えています。日本と違い、一つ一つの季節が3ヶ月単位でやって来ず、とにかく長い冬が特徴のNYの暦の中で、太陽が輝き、日が長い夏の日々はとても貴重で、そんな日がもう終わってしまったかと思うと寂しい限りです。
セントラルパークのボートハウス。ドラマや映画にもよく登場しています。
NYで夏の終わりの風物詩となっているのが、テニスのUS Open。
今年は、女子シングルで日本人とハイチ人のハーフの大坂選手が優勝するという快挙を成し遂げ、その興奮はいまだ冷めやりません。
大坂選手の圧倒的な強さはもちろんのこと、決勝戦でのセリーナ選手の行動は、きっと今後もテニス史上に残り、語り草になるようなものだったのではないかと思います。
私は日本のメディアでの報道はあまり分からないので、ここでは、アメリカメディアの論調をご紹介したいと思います。
決勝戦での3度の警告、それによって1ポイント、さらには重要な場面で1ゲームを落としたセリーヌ選手。同じコートにいた大坂選手も何が起こったのか分からなかったと後で語っていたように、実際会場に見に行っていた知人も、席が遠すぎて、現場にいたものの状況は家に帰ってテレビを見るまで分からなかったそうです。そんな状況だったので、試合当日のアメリカメディアも前代未聞の事態に混乱状態でしたが、時間が経つにつれ、状況が整理されてきました。
色々なメディアが今回の件を報道する中で、9月10日のNYタイムズでのナブラチロワさんのコメントが、とても的をついていると言われています。
元テニス界の女王ナブラチロワさん。選手としての気持ちが分かる方の発言だけに、その重みを感じます。
ナブラチロワさんは、「セリーナは、部分的には正しい。女性と男性が違う基準で罰せられるということは、もちろんある。私だってそう思う。そして、それはテニスにおいてだけではない。」と、試合後のインタビューで、自身の審判への発言で警告をとられたことに対して、発言は暴言ではなく、男性選手の試合ではもっとひどい場面もある、と自分の行動を正当化し、主審を非難したセリーナ選手のことを語りました。
その一方で、だからといって、男がやって許されることなら女もやっていいという考え方は賛成できるものではない、と指摘しています。いつも選手が自らに問うべきなのは、「テニスというスポーツ、そして自分の対戦相手に対し、敬意をもって接するためには、今どういう行動をとるのが正しいだろう」と話しています。彼女自身、過去に試合中に頭にきて、ラケットを粉々にしたいと思ったことも何度もあるけれど、そのたびに「私の姿を子どもたちが見ている。私はロールモデルとして振る舞わなくてはいけない。」と思って我慢したそうです。
セリーナ選手の肩をもつ発言をしている人もいるようですが、私はナブラチロワさんが言う通りだと思います。
テニスはもともとは上品はスポーツ。テニス界を牽引し、多くの人たちの注目を浴びている選手の世界が注目する重要な大会での決勝戦という大舞台での行動として、セリーナ選手の行動は、残念でなりません。
事の発端は、セリーナ選手のコーチがセリーナ選手へ出した手によるメッセージが、選手への指示ととられた警告によるものですが、コーチは指示を出したことをあっさりと認めています。セリーナ選手があれだけ抗議していることを見ると、セリーナ選手はきっとその指示に気づいていず、全く見ていなかったことと思います。
ただ、そうであれば、もう少し違う方法で審判に状況確認をすることもできたのではないかと思わずにはいられません。
人生のほとんどをアメリカで過ごしていて、選手としての登録は日本だけれども、英語が第一言語となっている大坂選手にとっては、アメリカも本拠地と感じていることでしょう。そのアメリカで、圧倒的なセリーナ支持のファンたちに囲まれた人生で初めての決勝戦で、自身の実力で勝利を納めたのにも関わらず、ああいった形での表彰式でのブーイングにはきっと大きく動転してしまったことと思います。
後からビデオを見ていても、私自身、何に対するブーイングか全く分からず、メディアでは、セリーナ選手が勝たなかったことへのブーイングであったわけではなく、ああいった荒れた試合になったことへのブーイング等、言われてもいますが、あれだけ多くの観客がいる中で、ブーイングした人たち一人ひとりの意図はそれぞれ異なっていたと思います。
ただ、本来勝者を称えるはずの表彰式でああいった行動をとった観客たちの品位も問われるべきと思います。
動揺してしまった大坂選手は"I'm sorry...."と優勝インタビューで語り、その解釈も"sorry"は、あの場面では、「すみません」といった謝罪には当たらず、そのような訳は誤訳といっていた人たちもいましたが、数日後に大坂選手が出演したEllenとのトーク番組(徹子の部屋のような番組)で、大坂選手自身、「謝らなければいけないと思った。。」と語っていたので、誤訳ではありませんでした。
色々な点で歴史に残ると言われた試合を制した大坂選手は、最後まで冷静さを失わず、その清く正しいスポーツマンシップや礼儀正しさを、アメリカのメディアは褒め称えていました。
そんな大坂選手の言動は、日本人としての和の精神から来ているのではないかと思います。
アメリカでは、セリーナ選手に限らず、自分の主張を押し通したり、失礼な言動を平気でしたりする人はいて、そうした品位がない行動は、日本で生まれ育った人から見ると、アメリカの良くないところと以前から写っていましたが、アメリカ代表選手と日本代表選手による今回の決勝戦は、テニスという枠を超えて、多くのことを投げかけているように感じています。
今年は色々な予定が重なってしまって、結局一度も試合を見に行くことができませんでしたが、来年は会社を休んででも、大坂選手の試合を見に行こうと思っています。