先日こちらの記事で、余裕のある暮らしをしているニューヨーカーは、冬の間、寒いニューヨークを避けて、ニューヨークから手軽に行けて温暖な気候のフロリダへ避難していると紹介しました。数年前に親しくなって以来お世話になっているアメリカ人の友人もその一人。その方は、私より30歳ぐらい年上で、マイペースに自営業を続けながら、セミリタイア生活を送っています。
1月に友人が2週間ビーチハウスを借りていたのは、フロリダのSarasota (サラソタ)という町。フロリダと言うと、ディズニーランドのあるオーランド、ビーチリゾートのマイアミ、スポーツのキャンプ地として知られるタンパなどが有名ですが、サラソタはタンパから車で1時間ほど南下したところにあるフロリダ半島西側のビーチタウンです。
広いアメリカには観光スポットがあちこちにあるので、よほど何かがなければサラソタに行ったことがあるという日本人はあまりいないかもしれません。実際、友人を訪ねてサラソタを訪れた2泊3日の旅行中、アジア人は一緒に旅行した友人と私以外にいなかったのではないかと思うほどに、ローカルな場所でした。
そんなサラソタを有名にしているのが、全米を代表するサーカス団を作ったRingling兄弟。7人兄弟のうち5人の兄弟がサーカス団の経営に携わり、19世紀後半から20世紀前半にかけて、小さな公演を行っていた団体を全米を代表するサーカス団へと育て上げたのです。
Ringling兄弟が最初のサーカスのショーを行ったのは1870年。アメリカでテレビ放送が始まる60年近くも前のことです。娯楽が少なかった時代に、動物たちを使った非日常的なエンターテインメントとして瞬く間に人気を博したサーカスは、1889年には列車で全国行脚をするほどの規模にまで成長しました。
その後、1907年にBarnum and Baileyという別のサーカス団を買収し、Ringling兄弟は2つのサーカス団の経営に精を出しました。5人の兄弟が上手に役割分担をしながら、2つのサーカス団を大きく育て上げ、彼らには"Circus King"の異名も付いていたそうです。
しかし、1911年から1918年にかけて3兄弟の死をきっかけにその勢いは弱まり、また、第一次世界大戦の中でマンモスを使った大規模な演出を行う2つのサーカス団を維持することが困難となり、さらには人材不足や疫病の発生なども重なり、1918年末に2つのサーカス団は合併となりました。そして、1919年にマンハッタンのマディソンスクエアガーデンで合併後初となるショーを行ったのです。
1919年には、もう一つ大きな出来事がありました。残された兄弟のJohnとCharlesは、この年に、サーカスの冬の公演をコネチカットからサラソタへと移したのです。しかし、その移転が完了する前にCharlesは亡くなってしまいました。一方で、1909年から冬の間は奥さんと一緒にサラソタでの暮らしをしていたJohnは、サラソタにベネチアスタイルの大豪邸、Cà d'Zanを完成させます。この豪邸は現在一般公開されており、また、その隣にはRingling兄弟によるサーカス団の歴史を知ることができる博物館、Circus Museumがあります。
この博物館は、Ringling Brothersのサーカスの公演で使われた物や全国行脚の様子のジオラマなど、臨場感さながらで楽しめて、サラソタ訪問の際にはぜひ足を運びたい場所です。
私自身、幼少時にサーカスを見たおぼろげな記憶がありますが、テレビやインターネットが発達してサーカスの存在すらも忘れていた今、今回のサラソタでのCircus MuseumやCà d'Zanへの訪問が、サーカスの楽しさを思い出すと同時に、Ringling兄弟の軌跡を辿ることで、サラソタの町をより深く知るきっかけとなりました。
このサーカス団は動物を使ったショーが有名でしたが、動物愛護団体からの抗議を受けて2016年にショーから動物を完全になくし、その翌年には莫大なコストがかかる中で経営が困難であるなどの理由から公演を全て取りやめました。そして、数年の時を経て、2023年に人間のみのショーとして戻ってきたのです。
サラソタはニューヨーカーにとっての冬の逃避場だけではなく、Johnをはじめとしてはるか前にこの町の魅力に気づき、移住した人たちが育ててきた町です。海に面しているので魚介類が美味しく、温暖な気候で冬でもアウトドアでのアクティビティーが楽しめる町。そんな町の魅力、そして、タイミングよくニューヨークへ戻ってからすぐに生観賞したRingling Bros. and Barnum & Baileyのサーカスの公演についても追ってご紹介したいと思います。
☆Circus Museum & Cà d'Zan
5401 Bay Shore Rd, Sarasota, FL 34243