今日は、アメリカと日本での絶対的な価値観の違いである「目標達成型思考」について、前回とは別の角度から考えていきたいと思います(この話題は連続しているので、昨日の日記をまだの方はこちらからスタートしてください。)
アメリカでは目標に至る過程よりも、目標を達成したか否かに重きがおかれることは、ウォール街をうごめく金融マンやアメリカでは日常茶飯事のように行われているリストラを見ても明らかです。
ウォール街の人々は一般には、「人よりお金もうけをしてリッチな暮らしをする」という目標を立てているように思われますが、そう考えたときに、自分にお金が入るのであれば、怪しげな金融商品を売ってお客さんが困ろうとも気にしないのです。こうしたお金儲けに熱心な人々は、サメに例えてsharkと呼ばれています。
また、会社が業績を建て直そうとしたときに、まず思い浮かぶのは人件費削減。一番簡単な費用の減らし方です。
そうなれば、「リストラ」ということにのみ目標が設定されるので、その人が解雇されることでその人のみならずその家族が路頭に迷うことになること、その人の再就職が決まらなかったらどうなるのか、等々のことは度外視されてしまうのです。
日本ではリストラなんてめったに起こらないことなので、全然イメージが湧きませんが、こちらでは働いている限りリストラは隣り合わせ。私もこの半年の間に、何人かリストラされてしまった人に出会っています。
以前、日本で従業員にリストラ宣告をしなければいけない経理部長の人と話す機会があったのですが、その人はどうやって伝えるべきかずっと思い悩み、こんなにつらい思いはしたくないので、いっそのこと自分が代わりに辞めます、と社長に伝えたと話していました。若い人ならば再就職先が見つかる可能性が高いとの会社の配慮で、リストラは社内で若めの人を選んだそうですが、とはいっても30代半ばぐらい。アメリカほど労働市場が流動的でない日本において、その年齢で自社製品にのみ特化した営業職の人であった場合、再就職先をすんなり見つけるのは困難ではないでしょうか。しかし、経理部長の方は年齢は上であったものの、他の会社でも使える経理スキルがあるので、転職は自分のほうがしやすい、と思ったそうです。
日本ではそれぐらいにリストラにセンシティブですが、それはたとえその目標を達成したとしても、その裏でそれにより困ってしまう人々への感情が常に残っているからだと思います。つまり、目標達成だけでなく、それにいたる過程も重視しているのです。
たしかに目標は達成されないよりもされたほうがいいとは思いますが、ここまで「達成」にこだわる考え方は、どうも日本人にはなじまないように思います。
次回は、この思考を学生生活に当てはめて考えてみます。