NYから日本を考える

世界中が追悼・安倍元首相の訃報に寄せて

私はそのニュースを、朝確認するのが日課となっている日本の新聞社から届いたメールを開いた時に知りました。見出しを見ただけでは何が起こったのか分からず、急いで開いた記事全文でその驚くような出来事を知ることとなりました。

海外で暮らしていると、日本のことがいかに日本の外で知られていないのかを痛感しますが、そんな中で、安倍元首相はその在任期間の長さや功績から、海外でも名前が知られている数少ない日本の首相だったのではないかと思います。

あまり知られていませんが、実は安倍元首相はニューヨークとの関係も深いです。
政治家であった父親晋太郎氏の秘書として自身の政治家人生をスタートする前に、神戸製鋼所に勤めていて、1年間ニューヨーク支社でも勤務していたことがあるのです。

そんな若い時の経験も影響したのでしょうか。2006年には日本という国のあるべき姿を描いた「美しい国へ」という本も発売しています。そしてその2ヶ月後に首相に就任して最初の内閣を組閣しました。

私はNYを拠点に日本文化を紹介する非営利団体で熱心にボランティア活動を行なっていたことがあるのですが、その活動の一環で、実は2012年の5月に安倍元首相に単独インタビューをさせていただいたことがあります。

私が書いたインタビュー記事の一部。記事全文はこちらから。

 

私たちの団体の活動に共感してくれたのでしょうか。政治家として分刻みの予定をこなしている中で、もともと決まっていた打ち合わせをキャンセルして時間を作ってくださったのです。インタビューの場所は霞ヶ関の議員会館の安倍元首相のお部屋。リビングルームのようなスペースに打ち合わせ部屋を備えたこぎれいな空間だったことを覚えています。

日本文化を紹介するNPO団体のインタビューということで、その内容は、安倍元首相が目指す「美しい国」についてが中心でした。その時間は20分ほどだったでしょうか。話が盛り上がる中、時間切れとなってしまい、次の予定へと秘書の方が呼びに来たため、急いでお開きとなったのでした。インタビュー用の写真撮影もかなりバタバタの中で終わり、私は一緒に写真を撮っていただこうと思っていたもののそれは叶わずでした。

その時のインタビュー動画のスクリーンショット。動画はこちらから、インタビュー記事全文はこちらからどうぞ。このスクリーンショットからすぐに気づかれた方もいらっしゃるかもしれませんが、拉致被害者救出の会のシンボル、ブルーリボンが左胸で静かでいながら大きくメッセージを発していたのが印象的でした。

 

今回の訃報に際して、当時のことを思い出し、その当時書いたインタビュー記事を読み返してみたところ、その日の記録が少しずつ蘇ってきました。ニューヨークでの生活はたった1年だったそうですが思い出深かったようで、当時住んでいたミッドタウンイーストの自宅から神戸製鋼のオフィスまで毎日徒歩で通っていたことなど懐かしい目でお話されていました。

海外メディアも今回の訃報を速報で報道し、その死を悲しんでいます。"assassination (暗殺)"という表現で、世界の中でも銃規制が厳しく安全の代名詞のような国でこのような事件が起きたことに驚いている、との報道も多く耳にします。

日本総領事館では週明け2日間弔問を受け付けるそうですので、昼休みに行こうと思っています。
ご冥福をお祈りします、という英語表現は、"Rest in Peace"
思わぬ形で人生の最期を迎えることとなってしまいましたが、rest in peace、ご冥福をお祈りするばかりです。


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