今回もたくさんのドラマを生んだオリンピック、ついに閉会してしまいましたね。
前々回の記事(こちらからどうぞ)に続いて、今回のオリンピックを通して感じた「世界基準」についてもう少し考えてみたいと思います。
私は小さい頃から様々なスポーツ観戦が大好きです。その理由はたくさんあるのですが、一番大きいのはスポーツ選手への尊敬。ある特別な日でのたった一瞬の輝きを目指して努力を積み続ける精神力は、普通の人からは想像もできません。そんな精神力やモチベーションはどうやって維持しているのかは、私にとって長年の疑問の1つで、昨年アテネオリンピック体操団体金メダリストの米田選手に会うことができたときにも、直接聞いてみました(米田選手との感動の対面日記 )。
現在は、ロンドンオリンピックを目指す選手の指導者を目指しているそうです。
そのときに、米田選手が語っていたことは、「1つ1つの練習も本番と思ってやること」。
体操は様々な技の連続競技なので、最初の技が上手くいかないとそこでその回の演技を止め、また最初からやり直すといった練習をする選手もいたそうですが、米田選手は、「本番でも全てが自分の思い通りになるとは限らないから」とどんなときでも、演技を中断することはなかったそうです。そうすることで、高い精神力を築きあげ、それがアテネでの成功へとつながりました。
毎日試合と同じ高い緊張感を保ち続けるなんて、なんと大変なことでしょう。しかし、それが世界で一流と呼ばれる称号を得られる人が実際に実践していることでもあるのです。たとえそれを表立って口に出さなくても。
そう考えたときに、今回フィギュアの織田選手に起こった靴ひも事件はどう捉えられるでしょうか。
テレビ観戦していたときには、あまりに突然のことでただただ驚きました。なんて運が悪いんだろう、と思いました。しかし、アメリカのテレビ解説者は、「こんなことめったにないですね」としきりにコメントした後、メダル争いから大きく後退してしまった織田選手を報じることはありませんでした。
ネットで日本のニュースを見ていると、「アクシデント」「無情」という言葉が並んでいましたが、その後こんな事実を知りました。
・靴ひもは試合前から切れていた。それを知っていたけれど、応急処置をして試合に臨んだ。
・靴の消耗は激しく、プロ選手では試合ごとに靴を変える人も。
・靴はだいたい1ヶ月ごとに交換する。
靴の寿命はもっと長いものだと思っていたので、こうした事実を知って驚くと同時に、靴ひもが切れていたことを試合前に知っていたという織田選手のコメントは衝撃でした。
オリンピックの日はずっと前に決まっていたのだから、その日に合わせて靴の交換もスケジュールを組むのが、本当のアスリートではないかと思います。そして、この出来事がアメリカでレアだと言われるのは、他の選手はこうした事情も考慮して本番に備えているから。
詰めの甘さ、意識の低さが命取りになることは、世界の舞台へ出る人のみならず、どんな世界にでも言えることなのではないかと、あの場面を見て強く思いました。