A dinnerとdinner?

英語の勉強には終着点がなく、日々疑問が湧き上がってきます。
不思議なことに、同じ状況に立て続けに遭遇することもあり、そうした単語には何か縁があるのではないかと思って、ネイティブの友人に会ったり、会社のハーフの同僚に聞いたりしています。

気温が8度ぐらいまで上がって過ごしやすかった週末ブライアントパークのスケートリンクは大賑わい。

最近遭遇したのは、a dinnerという言葉。
dinnerは数えられない名詞なので、”a”を付けることに違和感があったのですが、ネイティブの人が”a dinner”という言葉を使っている現場に、短い間に2度も遭遇しました。

そこで、その表現を使っていた友人のアメリカ人に聞いてみたところ、説明に窮していて、a dinnerもdinnerも同じじゃないかなぁと言っていたのですが、隣でそれを聞いていた友人の奥さんが、詳細に違いを教えてくれました。日本語でもそうですが、微妙なニュアンスの違いは、ネイティブの人であれば全く意識せずに使っているので、あえて質問されると戸惑ってしまうようです。

a dinnerは、誰かとの特定のディナーをするときに使うそうです。たしかに、私が2度遭遇した場面では、そのような文脈で使われていました。
“I briefly met Maria on the street as she was on her way to a dinner with her friend.”
(マリアと道で会ったよ。彼女は友人との夕食に行く途中だったあったからちょっとだけだったけど。)

若干意訳してみましたが、マリアは、私と友人との共通の知人ですが、私も友人も、マリアとはもう何年も会っていないという関係です。そのため、普通であれば、私の友人が道でマリアと出会ったら、長話になりそうですが、そこが”briefly(ちょっとだけ)になったのは、マリアに夕食の予定があったからです。誰かとの特定のディナーという状況下なので、”a dinner”となっています。

別のネイティブの子も、”I will have a dinner with my friends.”という表現をしていましたが、これも、ただの夕食全般ではなく、ある夕食の計画について話しているので、”a dinner”です。

これに対して、”dinner”は、私達が受験英語でならった通りです。”Let’s have dinner.”(さあ、夕飯を食べよう。)といった夕飯全般に対して使われます。

dinnerに”a”が付くことがあるなんて考えたこともなかったので、驚くべき発見でした。

こんなに一見簡単な単語にもまだ知らないことがあるので、そう考えると、英語は一生学び続けていく言語なのかもしれません。

ニューヨークの移民たち・それぞれの人生

“The nail that sticks out gets hammered down.”

日本の社会を象徴する言葉としてアメリカで言われることがあるのが、「出る杭は打たれる」という表現です。

日本では人より目立たないことが暗黙のごとく推奨され、皆が「日本で」普通と思われている生活を送っていますが、ニューヨークのように人種のるつぼと言われる都市では、見た目も、普段食べているものも、着ているものも、信じている宗教も、1日の暮らし方も、何から何までが一人一人で違い過ぎて、平均や普通といった考え方はありませんし、誰かと同じようになろうとしている人もいません。

ニューヨークでの生活に馴染むのに精一杯だった渡米当初には気がつく余裕がなかったのですが、ニューヨークのようなところに住んでいると、想像の域を超えた富豪もいる一方で、こんなに物価の高い都市でどうやって暮らしているんだろう、と思うような人たちもたくさんいます。

後者に入る人たちの中のほとんどは移民だと思います。誰にでもできる仕事だけれど、機械にはできなくて人が行う必要があり、大変なのでみんながやりたくないような仕事についている人たちは、ほぼ移民と言っても過言ではありません。さらに言うと、もしかしたら、合法なビザを持っていない可能性も高いです。(だからこそ、ブルーカラーと言われる仕事についているのです。)

デリバリーやレストランでの食器洗い係、オフィスビスの清掃係は、ニューヨークでのこうした仕事の代表格かもしれません。

アメリカでは、出来合いのごはんのインターネットでの注文がかなり普及していますが、地方の場合、自分で車で取りに行かなければいけないのに対して、マンハッタンでは、指定した場所まで届けてくれます。私も残業の夕食は会社まで届けてもらうのですが、宅配の人は、雨の日であれ、雪の日であれ、バイクか自転車で、レストランとあちこちの宅配先を行ったり来たりすることになり、かなり過酷な仕事です。

また、レストランで食事を楽しんでいたら気が付きにくいですが、多くのレストランでは、窓もないような地下スペースで、ひたすらお皿洗いをして生計を立てている人もいます。

決まった時給は出るものの、誰もができてしまう仕事なので、昇給は望めないし、キャリアアップもありません。彼らは、ただひたすら、生きるために働いているのです。

アメリカのオフィスビルには、毎晩、概ねの社員が帰宅したあたりの時間から清掃が入ります。一人一人の席のゴミを回収したり、トイレ掃除をしたりと決して楽しい仕事ではありません。残業をしていると、こうした人が私の席のゴミ箱を空にしてくれる場に居合わせることになるのですが、とても暗い表情の人が多くて、毎回、気の毒な気持ちになります。先日、クライアント先でよく顔を合わせる気さくな清掃のおばさんと30分ぐらい話をしたのですが、ポーランドからの移民で、数年前に患って回復した乳がんの傷跡と再発を心配しながら暮らしていることなどなど、赤裸々な話を聞くことになりました。娘たちは母国にいるようで、彼女だけなぜ一人でニューヨークに、と思いましたが、深い何かがあるのかもしれないので、さすがに聞くことができませんでした。

ニューヨークでは、これらの仕事と同じような仕事が、昨日記事に書いたタクシーの運転手だと思います。

ウォール街で何億円も稼いでいる人がいる一方で、陽が当たることのない仕事をしながら最低限の生活をしている人たち。同じ時代の同じ都市の出来事とは思えず、私が何かできるわけではないのですが、考えさせられる現実が広がっている場所、がニューヨークでもあるのです。

深夜のUberとアメリカの移民の人生

最近、残業が多く、毎晩Uberで帰宅しています。Uberが登場したのは、ほんの数年前のことです。それまでは、いつ来るか分からないタクシーを道で待っていましたが、Uberの登場でそんな必要もなくなり、Uberでは呼んだ車の到着時間が分かるので(だいたい5分以内でやって来ます)、退社する直前に呼んで、パソコンを閉じてビルの下に着いた頃に車が到着してくれるので、効率が良いです。

タクシーがあまり走っていないような場所はもちろん、週末や天気の悪い日のようにタクシーがなかなかつかまらない時でも、Uberは自分が指定した場所に確実に来てくれるので便利です。そんなことから、イエローキャブが通っているような場所でも、退社時間の数分前にUberを呼んでささっと家に帰っています。

Uberはボンネットに小さなUのマークがある以外は、普通の自家用車のような外見です。

先日乗ったUberの運転手さんは、インド人。家に着くまでの短い間に話をしたのですが、数ヶ月前にイエローキャブからUberに鞍替えしたそうです。イエローキャブの場合、運転をしながら自分でお客さんを探さないといけませんが、Uberの場合、GPS機能で近くのお客さんと自動的にマッチングをしてくれるので、同じ時間を働いても乗せるお客さんの数はだいぶ増えたそうです。

せっかくの機会なので、普段疑問に思っていることを聞いてみました。

最近、Uberを呼ぶと9割ぐらいの確率でToyotaの車がやって来ます。偶然とは思えない確率の高さでいつも不思議に思っていたのですが、車を持っていない運転手は、Uberからではなく、自分でリース会社から車を借りているそうで、Toyotaの車は丈夫でトラブルも少ないので人気があるようです。

アメリカで働くためのビザはどうしているのでしょうか。移民問題に詳しいジャーナリストの友人も以前同じことを思って調べたそうですが、もう何十年も前に、インドやパキスタンといった当時はかなり経済状態が悪かった一定の国の人たちに、アメリカがビザをどんどん出していたようで、その時代に渡ってイエローキャブの運転手になったそうです。自国での生活に困窮して、アメリカへ渡った人たち。私が話したUberの運転手は10年前に渡米したそうですが、その頃はもうビザもだいぶ厳しかった時代です。なんと、難民ビザでやって来て、最近までイエローキャブの運転手をやっていたそうです、

夕方6時から明け方6時までというハードな仕事。タクシーの運転手は、色々なお客さんと関わる上、道路事情等知っておくべきことも多く、ニューヨークでの仕事を通して、肌でニューヨークの街で暮らすということを感じているそうです。

難民ビザという日本人には馴染みのないビザ。難民には、通常のビザにはない制限もあるはずです。それでも、自国を離れて(捨てて)、アメリカへやって来るという覚悟は、普通のビザの人には到底計り知れない相当なものだと思います。ただ、正直なところ、このアメリカという国では、タクシーの運転手をやっているだけでは、絶対に平均的な暮らしはできません。何億という巨額の報酬をもらっている人がいる一方で、働いても働いても豊かになれない人もいるアメリカ。この国の貧富の差の大きさを目の当たりにするたびに、考えさせられることが多いです。

トランプ政権1周年で荒れた週末

多くの人が衝撃を受けたトランプ大統領の就任から、もう1年です。

この1年で、アメリカの人々の精神面はだいぶ変わったように思います。メディアは反トランプ派が多いのでアンチトランプの人たち寄りの報道が多く、私の周りにいる人たちもトランプ大統領に僻遠しているので、自然とそういった情報が私に多く入ってくる傾向にありますが、通常であれば政治的発言をしない私が勤めている会社でも、うまくオブラートに包んだ形で、今年は何通かのメッセージを全従業員に配信しました。

それは、まとめると、自分の信念に忠実に、そして、今こそアメリカは一つになる時、というものでした。

トランプ政権の厳しい移民政策により、オバマ政権のもとでは合法的にアメリカに居住していた移民たちが強制送還される危険と隣り合わせで怯えながら暮らしていたり、優秀な移民たちがビザの書類審査で跳ねられてしまって母国に帰らざるを得なくなってしまっていたり、オバマケアのおかげで健康保険に入ることができた人たちがその地位を失いそうになっていたりと、大統領が変わったとたんに生活が一変してしまった人たちがたくさんいます。

ロウアーイーストサイドの見事な壁画。

そんな状況の中、最近では、トランプ政権の動きは置いておいて、自分が大切に思うもの、正しいと思うことにより重きを置いた暮らしをしようとしている人たちが増えているように思います。

そうした動きの中で、#MeTooが社会運動化して、仕事を失うことを恐れたり、人前で告白することを恐れて泣き寝入りしていた女性たちが立ち上がり、セクハラをしてきた男性たちを名指しでマスコミに通報し、アメリカ社会のメディアやエンタメ界を率いてきた大物の男性たちが次々と職を失いました。

こうした動きは、誤っていることにははっきりとNoと言うことを通じて、社会を正しい方向に持っていこうとしている大きな流れの中の出来事で、トランプ政権になったからこそ湧き上がってきた運動なのではないかと個人的に思っています。

おととい金曜日に予算案が議会を通過しなかったため、政府機関はストップしています。その一方で、昨日土曜日には、女性たちの権利向上を求めるWomen’s Marchという行進が、全米各地で行われ、多くの女性たちが参加しました。この行進は、トランプ政権に反対した女性たちが立ち上がったもので、今年は2回目の開催です。

アメリカ議会閉鎖の影響は、こちらのビデオで簡潔に紹介されています。2分ほどの短いビデオですので、ご興味ある方は、ぜひご覧ください。

過程より結果重視のアメリカ社会への疑問

いつもニューヨークの面白い話をお届けしようと思っていますが、今日は、アメリカ社会で私が疑問に思っていることを書いてみたいと思います。

これは、私が最近思ったことではなく、随分前から感じていたことです。日本からアメリカにある程度の年になって渡った人であれば必ずや直面することだと思いますので、アメリカ在住の方へ向けて、知っておいたら少しは気持ちの面で違うのではないかと思ったのと同時に、日本人の美徳を再認識するきっかけにもなりますので、どこに住んでいるかに関係なく、日本人の方へのメッセージとしての意味も込めて、ここに書いてみたいと思います。

最近、寒さのために外出が減って、ブログに載せる写真があまりないのですが、今日はこんな面白い場面に遭遇しました!スクワッシュの選手権です。JP Morgan主催がメインスポンサーなので、プロの大会のようですが、なんと、グランドセントラル駅の中で開かれています。

奥にいる観客は、チケットを買って入場した人たち。私のように立ち止まって見ている人も数多くいました。

チケット売り場も駅の中。

標題の通り、アメリカ人は結果重視の国民性で、そこに至る努力とかよりも何よりも、「結果」に重点を置きます。

結果にまだ結びついていなくても、そこに向けて陰で汗水流して努力している姿を汲み取る日本社会とは正反対です。

例えば、アメリカでは、仕事の出来が悪い社員は容赦なく解雇される風土があります。会社によっては、数ヶ月を観察期間として、その間に思ったような改善が見られない場合には最終的に解雇となる場合もありますが、私の会社では、たまに、その観察期間中に会社の都合で解雇しまうケースもありました。

もともとやる気がないのは論外ですが、他の人に追いつこうとたとえ残業をたくさんして頑張っていたとしても、その過程は考慮されることがまずないのが、アメリカ社会の特徴だと思います。

それに対して、日本には、社員の成長を見守る、という風土があるので、人より遅れをとっている人がいても、その人に合った仕事を与えるところから始めたり、その人が陰で努力していたとしたら、結果はまだでていなくても、そうした地道に努力してしている姿を見てくれている人が必ず一人はいると思います。(ただ、日本にはまだ成果主義が浸透していないので、こうした事情が、できる人に仕事が溜まって不公平を招いたり、という弊害につながることも否定できません。)

アメリカ人が、過程より結果を重視する傾向が強いというのは、アメリカ人と働いていて感じることも多く、仕事で何かを聞いてくるアメリカ人の部下のほとんどは、どうしてそうなるかよりも、答えだけを早く知りたがります。英語はもともと結論から話す文章構成なので、説明の組み立て方も日本人に話す時とは大きく変えることが、誤解のないコミュニケーションのために重要になってくると思います。(私も日々勉強中&研究中です。)

個人的には、そこに至るまでの過程や思考プロセスの方が重要だと思うのですが、なかなか理解してもらえず、そのため、思考の深さという点で、アメリカ人は他国の人より一般的に低いと思います。

先日、別の会社に勤めるアメリカ生活の長いある日本人の知人から仕事絡みの専門的な質問をされて、あいにく答えが分からなかったので、私の会社の資料で参考になりそうなものを探して送ったのですが、その資料を自分で見ることもなく、私の上司で知ってる人いないの?とか、この資料の中に答えがあるってこと?と、年の瀬も迫った頃に矢継ぎ早に返信が来て閉口してしまいました。年末で誰もが慌ただしい時期で、私も休み中に会社のパソコンを開けて資料を送ったのですが(相手はそれを知りません)、そんな風に言われて少しガッカリしました。アメリカ人でもこんな言い方はあまりしないと思いますが、答えを急いで求めるというところが、アメリカ人的行動だと思いました。

答えがyesかnoかだけを知りたかったようですが、思った通りの答えがもらえなかったとしても、そこに到達しようと相手が動いたことに対して感謝することの大切さを、反面教師のように感じました。

私は日本とアメリカの事情しか分かりませんが、ヨーロッパや他のアジア諸国、世界の他の国はどんな感じなのか個人的に興味がありますので、ご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えて下さい。