つい最近、驚くような出来事がありました。
ある日の朝、いつものように仕事をしようとパソコンを開いたとき、リンクドインを通じて突然、1通のメッセージが届いたのです。
Hello XXX (私の名前)
Hope you are doing well. Do you remember me?
という極めて短い文章。
なんと、この発信者は22年前、私が大学時代に知り合ったベネズエラ人の男性。
当時、海外に憧れていた私は、AIESECという国際交流のサークルに所属していて、そのサークルを通じて、はるか日本の裏側の国から研修生としてやって来たTulioのお世話係をしていました。
イーストリバーにかかる満月。あまりに月が大きくて美しいので写真を撮ったら満月の晩だったようです。
もちろん、彼は日本へ来るのも初めて。AIESECはグローバル展開しているサークルで、Tulioは、AIESECのシステムを通じて履歴書を登録し、彼の経験とマッチした横浜の会社で研修生として働くことが決まって、晴れて来日となったのです。
今では考えられないですが、当時はもちろんスマートフォンもない時代。事前にメールでしかやり取りしたことのない会ったこともない人同士なので、空港の混雑で会えないかもしれません。先輩と一緒に成田空港まで行って、「Welcome! Tulio!」という紙を持って彼の到着を待ったのは、20年以上も前のことですが、今でもはっきり覚えています。プラカードを持って空港へ行ったのも、最初で最後の経験です。
先端が霧がかって幻想的なクライスラービル。マンハッタンは交通量も元に戻って賑わっています。以前はイエローキャブが街から消えていましたが、今では、シャッターを押すと1台は写真に映るのではないかと思うほどにイエローキャブ率も戻ってきました。
そして、長旅で疲れているだろうと、成田空港のカフェでお茶をしたのですが、日本へ到着したばかりなのに、突然カバンから彼の出身都市、ベネズエラのカラカスという首都の絵葉書を取り出して、僕の国の首都はこんなに近代的で...と色々な説明を受けたのは、いまだ忘れられません。
ベネズエラのことを全く知らなかった私は、南米の貧しい国なのでは、と想像していましたが、絵葉書に写っていたのは、高層ビルと高速道路であまりに近代的な都市の様子で、ただただびっくりしました。
その後、Tulioが住むことになった相模原の寮まで案内したり、銀行口座を作るのに印鑑が必要とのことで、「トゥリオ」というハンコを作りに行ったり、市役所に住民票を届けに行ったり、彼の生活のセットアップを手助けしました。
ニューヨーカーは動物が大好き。特に犬と一緒にお出かけしている人をよく見かけます。こんな真っ白なワンちゃん、初めて見ました。こちらを向いて満面の笑顔。
日本の生活を楽しんでもらえたら、と他大学のAIESECの友人や他国からやってきた研修生たちと鎌倉へ遊びに行ったりもしました。
でも、いつの頃からかホームシックになっていたTulioの心はここに在らずで、鶴岡八幡宮に向かって歩いているのに、近くにある小さな目にも留まらないような教会の写真を一生懸命撮っていました。母国の光景と重ね合わせていたのでしょうか。
その後、外国人の友人もできたようで、六本木のクラブに繰り出しては遊んでいるという話も耳にし、知らぬ間に音信不通となったまま、22年もの歳月が流れたのです。
Tulioの言動から、もしかしたら日本のことをそんなに気に入らなかったのかな、なんて心のどこかで思い続けていたのですが、その頃には既に疎遠になっていたため、Tulioの気持ちを確かめることがないまま時間ばかりが過ぎていきました。
ニューヨークのような世界一多国籍の都市で13年近く暮らしていても、いまだTulio以来、ベネズエラ人に出会ったことはありません。
そんなこともあって、ベネズエラ、の話題を耳にすると、Tulioはどうしているんだろう、と思っていました。
でも、てっきりTulioは日本に興味がないと思い込んでいたので、Tulioから連絡が来るなんて思ったこともありませんでしたし、私は彼のラストネームを忘れていたので、Facebookで探そうということも考えたこともありませんでした。
そんな中突然届いた、"Do you remember me?"というメッセージ。
「えっ、Tulioじゃない!もちろん覚えてるよ。数ヶ月前、ちょうどどうしてるかなって思ってたの。20年以上話してないけど、こうして繋がれて嬉しいわ。どうしてる?」と返事すると、「覚えていてくれて嬉しい。どういうわけか君のことをよく考えてるの。」と、即座に驚くような返事が届きました。
そしてさらに驚くことに、当時の日本の滞在では良い思い出がたくさんあって、数年後に日本へ戻って、その後も仕事で頻繁に日本を訪問していたそうです。そして、2007年にスイスに移住し、今でも日本市場の担当もしているとのことでした。ティーンエイジャーの2児の父親となっていることも教えてくれました。当時のTulioのイメージからは想像もできないような言葉の連続にただただ驚くと同時に、きっとTulioにとって人生最初の日本人の友人となった私のことをこうした形で覚えてくれたことを嬉しく思いました。
以前、グーグルかFacebookで私のことを探したこともあったそうですが、その時は見つからず、今回、リンクドインで見つけてくれたのです。
いつの日かどこかで会えたらいいね、なんて会話をしたのですが、きっと数年以内にどこかで再会、なんてことがあるのではないでしょうか。
コロナで泣く泣く閉店してしまったお店も多い一方で、新しくオープンするお店も。普段歩かない道を通ったら偶然発見した新しいレストラン。外にはこんなに可愛い席も。
Tulioとのことで思い出深いことは、他にもあります。それは文化の違い。
当時、日本でしか暮らしたことのなかった私やサークルのメンバーには、日本での価値観しか分からなかったのです。
ニューヨークで暮らし始めてしばらく経った頃、その当時私がTulioが非常識だと思っていた言動は、ニューヨークではもしかしたらそうではないのかもしれない?とふと感じたことがありました。
その一つは、就業中のこと。Tulioは優秀で研修先の日本の会社でも戦力となっていたようですが、勤務中にヘッドフォンで音楽を聞いている、というフィードバックを研修先企業からもらいました。仕事中に音楽を聞くなんて論外!と当時の私たちは思ったのですが、ニューヨークで職場を見渡すと、イヤホンで音楽を聞いているアメリカ人は至るところにいて、全く非常識なことではありません。
このように、所変われば、常識だったことが非常識となったり、その逆もあったり、ということは、日本で暮らし続けていたら気づかなかったことだと思います。
22年前の思い出が蘇った不思議な朝でした。