日本にはあまり概念がないけれども、アメリカでは普通に聞く言葉に、"job security"というものがあります。
これは、一体どういう意味でしょうか。
"secure"とは保つ、守るという意味で、その名詞が"security"です。
つまり、"job security"とは、その言葉の通り、「職の安定」という意味です。
このブログでも何度か記事にしたことがありますが、リストラがごく当たり前に行われるアメリカの職場では、job securityは極めて低いです。
極端な話、明日、自分や同僚が解雇されるということがあり得るのがアメリカなのです。
先週、真夜中に友人からテキストメッセージが届いて、長年勤めた職場を突然解雇されたことを知らされました。
私より何個か年上で、ちゃきちゃきした姉御のようなその方は、アメリカ生活も長く、ニューヨーク生まれのアメリカ人と結婚され、ハーフの子供を米系に通わせ、完全にアメリカ人のような生活を送ってきました。勤めていたのも、日本人が一人もいない米系企業。
どんなことがあっても動じなさそうなぐらいしっかりした方ですが、さすがに突然のことで動揺されていて、私は先週は、知人の人材紹介会社の社長さんを紹介したりと、少し動いたりしていました。
そんなこともあり、最近、ふとjob securityという言葉が頭をよぎりました。
突然真夏のような暑さが到来したニューヨークでは、都会のオアシス、ブライアントパークが仕事帰りの人たちで溢れていました。アメリカ人は日焼けが大好きで、さっそく日向ぼっこ。
そういう人は、どこかのタイミングで解雇されて、いなくなっていくのです。
労働者が過度に守られた日本の社会では、社員が解雇されるというのは、社会的な事件でも起こさない限り、まずないのではないでしょうか。
それに対して、アメリカでは、その人の日頃のパフォーマンスはもちろん、会社の業績が悪化すると、一定の利益を出す(もしくは維持するため)に、綿密な計算のもとに、ある程度の数の人を解雇することがあり得るのです。
そのため、あの社会全体を揺るがしたリーマンショックの時には、仕事は普通にできるたくさんの人たちも職を失うことになりました。
日本では、今ではだいぶ薄れているとはいえ、終身雇用制の前提のもとに、長い時間をかけて育てた社員は「仲間」、ひいては「家族」みたいな心理的な結束感があり、また日本人の人の良さもあり、仲間を解雇するということにはならないでしょう。
また、何より労働市場がかなり硬直化しているので、ある程度の年齢で解雇されてしまった場合、再就職先を探すのは至難の業です。
それに対して、アメリカ人はいたってドライで、会社への奉公心は日本人の100分の1もないし、労働市場は流動化していて、たとえ解雇されてしまっても世の末というわけではなく、実力と経験があれば、新しい仕事は自ずと見つかるのです。
どちらのスタイルが良いかは、完全に好みの問題だと思うのですが、個人的には、日本で仕事ができて、もっと色々と挑戦してみたい、または挑戦できるのではないか、と思う人は、ぜひ海外に飛び出してみたほうが良いと思います。
なぜjob securityの低い場所で働くことを私がおすすめするのかについては、また別の機会にゆっくり書いてみたいと思います。