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米国大統領選が混迷している理由を探るヒントとなる、ある映画

アメリカの大統領選挙の投票日、11月5日が目前に迫っています。
先日から期日前投票も始まり、街中では、"I Voted Early"というステッカーを胸に貼って歩いている人も見かけるようになりました。

イギリス出身でアメリカ市民権を取得している友人が先日期日前投票に行ったときに送ってくれた写真。投票を促すため、また、投票したことを周囲に示すために投票所で配られているのです。なお、投票日当日には、"I VOTED"というステッカーを付けた人をよく見かけます。こうしたステッカーを付けて行くと割引サービスのあるお店もあるようです

与党内での投票で総理大臣が決まる日本の選挙制度と違い、(厳密には選挙人への投票ですが)国民自らが大統領を選ぶことができる米国の制度では、選挙への関心も日本とは比較できないほど高いです。

この1年を振り返ってみると、今年の頭はまだ候補者も絞られていなかったことから、各党の候補者が誰になるのかという話題で大いに盛り上がり、その後は老いを隠せず頼りない現職バイデン大統領の続投ではトランプ氏に勝てないのではないかという世論が高まり、ハリス氏へバトンがわたってからはトランプ氏との接戦、そして舌戦が続き、その間にトランプ氏の2度の暗殺未遂事件もあるなど、アメリカメディアの話題は毎日大統領選挙でもちきりです。

大統領選挙がこんなにも混迷を極めている一番大きな理由は、圧倒的に強い候補者がいないから、の一言に尽きます。この人に任せていれば安心できると思える絶対的な候補者がいれば良いのですが、そうではない状態が続いているため、混迷状態となっているのが、今のアメリカなのです。

日本では、なぜはちゃめちゃなトランプ氏がこんなにもハリス氏と接戦を繰り広げられているのか疑問に思っている人も多いと思います。
今日はそんな謎を少し紐解いてみたいと思います。

投票権のない私はあくまで傍観者の立場で、個人的興味から様々な角度から米国大統領選挙を観察していますが、この国を理解する上で重要なことは、

観光で訪れるようなアメリカの大都市「以外」の人たちの生き方を知らない限り、アメリカのことは決して理解できない!

ということです。

日本の国土の約26倍もあるアメリカ。
地図を開いてみると、私たちがよく名前を聞くような大都市の多くは東または西の沿岸部に集中し、それ以外の州や国土のほうが圧倒的に広いことに気が付くでしょう。

つまり、いわゆる大都市だけがアメリカではないのです。

そのため、大都市以外で暮らす人たちの生活環境や労働環境、日々の暮らしを知らない限り、アメリカ合衆国という国のことを包括的に理解することはできません。

主だった観光名所があるわけではないアメリカの内陸部には、よほどのことがない限り行くことはないかもしれません。そのような場所での主要産業は製造業。多くの企業の工場は、こうしたど田舎にあったりするのですが、そうした場所にも住んでいる人はいて、町が形成されているのがアメリカです。

監査法人に勤めていた7年半の間に、出張でこうした場所を訪れる機会が多くありました。その当時は、仕事以外することのない、しかも唯一の楽しみとも言えるごはんもあまり期待できないような場所に行くことは憂鬱でしたが、振り返ってみると、そうした場所に行くことは後にも先にもこうした機会があったからこそで、人生経験として有意義な体験だったと強く思います。

そうしたご縁もあり、今回のアメリカの大統領選挙でも"swing state"(民主党と共和党のどちらが勝つか分からない州。swingとは揺れるという意味で、票が毎回の選挙で揺れ動くことからこのように呼ばれています)と呼ばれる7つの州のうち5つの州(ノースカロライナ州、ペンシルベニア州、ウィスコンシン州、ジョージア州、ネバダ州)に滞在したことがありますが、こうした州での人々の暮らしは、私たちがよく知るアメリカの大都市とは大きく異なることも多く、都会でしか暮らしたことがない人からするとカルチャーショックが大きいことも事実です。

仕事でswing stateへ行っていたことは何度もありますが、特に撮影するような景色もなかったため、写真はほとんどありません。これはその中で残っていた数少ない一枚。今回の選挙でswing stateの中でも激戦州と言われているペンシルベニア州のとある小さな町

swing stateと言われている州の中でも大都市はリベラルな民主党支持者が多い一方で、それ以外の田舎の町では保守的な共和党支持者が多いため、ふたを開けてみない限り、結局のところどちらが勝つのは全く分かりません。

こうした保守的な人たちの代表格とも言えるのが、トランプ氏が副大統領候補として指名したJD Vance氏でしょう。ヴァンス氏自身、自分は労働者階級、それもはちゃめちゃな家庭環境で育ったことを公言していますが、彼の生い立ちを紐解くと、保守派を支持する人たちの生きざまが浮かび上がってきます。

ヴァンス氏が2016年に出版した自伝”Hillbilly Elegy"はベストセラーとなり、映画化までされましたが(Netflixで視聴できます)、副大統領候補に指名されたことで、この作品が再度注目を浴びています。

その内容は衝撃的な話ばかり。
薬物中毒で入退院を繰り返すシングルマザーとの生活。母の新しい恋人とその連れ子との暮らしのための引っ越し。地元の不良たちとの交流。アルコール中毒の祖父と決別した祖母に引き取られても続く貧しい暮らし。その日を無事に終えることだけで精一杯だったような日々。明日への希望すらもない中でバイトをしながらひたむきに勉強を頑張っていたそうです。

映画のクリップより。映画内では、左が育ての親である祖母、右が実の母親。洋服など雰囲気もhillbillyらしさを醸し出しています (c) Hillbilly Elegy

高校卒業後は海軍を経て(*)、オハイオ州立大学、そしてイエール大学のロースクールへ。アメリカ最高峰の大学であるアイビーリーグの一つであるイエール大学のロースクールでは、エリート集団たちに交じって引け目を感じることばかり。着席式の夕食会で、テーブルに並べられたナイフやフォークの使用順序が分からず、恋人(現在の奥さん)に電話でこっそり電話して聞く場面なども描かれていました。
((*)アメリカで、貧困層の人たちが人生を変えたいと思ったときに入隊するのは珍しいことではありません。お国のために頑張った功績をたたえ、退役軍人には生涯にわたって手厚い保護があり、学費の割引など、大学に行く際にも配慮がなされるようです。ヴァンス氏が高校を卒業後軍隊に入ったのもそのためだと思います)

この本と映画のタイトルにある"hillbilly"は、アメリカ社会を理解するための大切なキーワードでもあります。

辞書を引いてもしっかりとは理解できないであろう"hillbilly"という言葉。実は差別的な用語であることから、日常生活で耳にすることはまずないでしょう。

私には、この言葉を聞くと思いだすある二人の元同僚がいます。それは、まだ英語もしっかり話せていなかった渡米間もない頃に運よく雇ってもらった米系監査法人時代のこと。ネイティブのように話せない私と交流するのを面倒くさがる部署の人が多い中で、ある仕事で一緒になった二人のアメリカ人の同僚が、親切にも、仕事の合間にちょこちょことアメリカ人だったら絶対に知っていることを豆知識的に教えてくれていた時期がありました。彼らは私がアメリカの文化を全然知らないので、「XX知ってる?」とか、「XXXという映画、絶対見たほうがいいよ!」といった感じで聞いたこともないような言葉を次々に教えてくれていたのです。

その時に習った言葉の一つが"hillbilly"。前述したように、差別用語のため、後にも先にもこの言葉を聞く機会はありませんでしたが、今回、"Hillbilly Elegy"のことをニュースで知ったときに、10年以上ぶりにこの言葉の記憶が蘇ってきました。

元同僚たちが当時話していたのは、"hillbilly"とは、簡単に言うと田舎者という意味ですが、その背景はもっと深いということ。教育水準が低いために、生まれ育った田舎を出ることができず(もしくは都市部へ行くことを望んでいなかったり、自分がいる世界とは全く違う世界があることを知らないのかもしれません)、所得も低いため安売りスーパーで買い物をして外見にも気を使うこともなく生活している人たちの総称、と私に教えてくれました。こうした人たちは、アパラチア山脈など山岳地帯に暮らし、炭鉱業などに従事してきたと言われています。私の元同僚たちのようにそれなりの高等教育を受けてきた人たちからすると、"hillbilly"は自分たちとは別世界の人たちで生涯関わることはないという印象でしょう。

しかし、こうした人たちがかつては国の発展の原動力となっていたような炭鉱業を支えていたことも事実です。そして、今でもアメリカの内陸部にはこうした人たちが多く暮らしてくるのです。明るい未来が描けない仕事に従事しているものの、どうにもできないし、どうしたらよいのかも分からない虚しさ。トランプ氏の支持層はrust belt(北東部から中西部にかけてのかつて製造業で栄えたものの現在は衰退した地域)に多いと言われていて、そうした州がswing stateとなっていますが、rust beltの人たちとはまさにhillbillyなのです。

地元の高校を卒業した後、近くの工場で就職。そして地元の人と結婚して家庭を築いて黙々と汗を流して働く日々。それでもいっこうに良くならないどころか悪化する生活。アメリカ大統領選挙において、そうした人たちの最大の関心ごとは、誰が大統領になったら自分の生活が良くなるのか、ということ。

そんな人たちの心をつかんでいるのが、良識的な人たちから見るとはちゃめちゃなトランプ氏であり、まさにそうした人たちと同じか、もしくはもっとひどい家庭環境の中で育ったhillbillyの代表格とも言える共和党の副大統領候補のヴァンス氏なのです。

このことを誰よりも分かっているのはヴァンス氏本人ではないでしょうか。彼は選挙演説で毎回、底辺中の底辺とも言える家庭環境で育った自分が副大統領候補になるのはアメリカンドリームの象徴だと繰り返し、hillbillyたちの心を掴んでいます。

日本のメディアでは、ハリス氏とトランプ氏の動向ばかりが報道されていますが、アメリカ大統領選挙の本質は、もっと深いところにあるのだと個人的には感じています。

多様な人種、価値観の人たちが暮らすこの国では、一人一人の興味や関心も異なります。富裕層になればなるほど、富裕層への減税政策を推す共和党支持派が多いですし、LGBTQの人たちは自分たちへの風当たりが強くなることを懸念して民主党支持にまわっています。

先日行ったNYのお隣、NJ州にあるコンテンポラリーアート施設の女性用トイレの入り口。WはWomenの略ですが、下に小さく"self-identified"という文字が。つまり、「自身で」女性と思う人は使って良いという革新的なメッセージが!

これだけ生き方も考え方も異なる人たちが暮らす国を統治することは、容易ではありません。そのような中で、まずは、この物価高をなんとか緩和し、アメリカで暮らす一人一人の暮らしを少しでも豊かな方向へと導いてくれる人が大統領に選ばれることを願っていますし、そうすることが、次期アメリカ大統領の使命だと思います。


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