昨年8月にスタートしたNY生活ですが、早くも9ヶ月目に入ろうとしています。
何もかもが新鮮で、キョロキョロしながら歩いていた当初とは状況は大きく変わり、街や地下鉄で道を聞かれたら即答できるようになり、少しずつではありますが英語のバラエティー番組が楽しめるようになり、ネイティブの人との会話(1対1限定。大多数になると大混乱)もふつうにできるようになり、今まで新鮮に思えていたものや出来事が、「当たり前」のようになりつつあります。
そうすると、自然と色々なことに思いが及ぶようになり、私のNY生活は新たなステップを踏み出そうとしていることを感じます。
この間、以前クラスメートだったカザフスタン人の子と数ヶ月ぶりにお茶をしました彼女はロシア語なまり、そして私は日本語なまりの英語であるため、以前は相手が言っていることが理解できず、会話につまることもあったのですが、お互い数ヶ月の間に英語が向上したのでしょうか(と信じたいです)、2時間ぐらい2人で話し込んでました。
カザフスタンは地理的には中央アジアと位置づけられているものの、私は首都さえも知らないほど未知の世界。そして、彼女にとって日本は、東京が大都市であることぐらいしか知りません。以前キティちゃんのノートを持っていたので聞いてみたら、カザフスタンでも人気のようです。日本の製品だと伝えたらビックリしていました。それぐらいに日本は遠い世界なのです。
そんな私たちが、お互いの母国からははるかに離れたNYで出会い、そして母国の友達と同じようにお茶して休日を過ごせるってなんだか奇跡的だと思います。
今まで、みんなどうしているだろう?と思って私が思い浮かべていたのは日本だけでしたが、最近はそれがウクライナや韓国にまで広がっています。
そんなことを可能にしているのは、「英語」
毎日勉強してもいまだに湯水のように知らない単語であふれかえっている状態ですが、それでも、少しでも英語がしゃべれることで、世界中に友達を作る、という夢のようなことが可能になるのです。
日本で英語学習というと、いい大学に入るため、いい仕事に就くため、の手段のように考えられていますが、本当の英語の醍醐味は、ちょっとでもTOEICの点数を上げてお給料を上げることよりも、世界中の人とふれあい、日本では知りえない彼らの価値観、世界観を知り、そしてそれらを共有することで人生を豊かにすることにあると強く思います。
また、日本へ入ってくる海外のニュースはほんの一握り。日本の外交上とても重要だったり、また個人的に読んで面白い内容だったりするものでも、ネットで検索すると日本語に訳されていないものも。そう考えると、個人を超えたレベルで、国を豊かにするためにも、英語はいまや必須言語であることは間違いないとの思いを日々強くします。