先日、この「NYで働く」というテーマで、日本と大きく異なるアメリカ人の仕事論という記事を書きました。その内容は、アメリカではごく一般的なリストラと転職について。(過去記事はこちらからどうぞ)
ネイティブの英語にアップアップしながら暮らしていた私を助けてくれた身近な同僚や、前の日まで一緒に働いていて、その日も朝からクライアントの会議に来るはずだったチームメンバーが、会議に姿を現さず、実はその前の日に解雇されていたことを知った日の驚きは、今でも鮮明に覚えています。
もちろんリストラが行われれば、リストラを決行したグループの上層部を除く、私たち一般社員の間では大きな動揺が起こり、なぜその人がリストラ対象になってしまったのかといった噂が社内で渦めくことは言うまでもありません
日本的考えでは、仕事と生活は切っても切り離せないもの。リストラをするとなれば、家族はどうなってしまうのだろう・・・?、その人が次の仕事が見つかるまでの生活費はどうするんだろう・・・?住宅ローンは、教育費は・・・?ということが、真っ先に誰もの頭に浮かぶことでしょう。暮らす」ために「仕事をしている」という表現が当てはまるように思います。
日本では、「仕事をする」ために「暮らしている」といえるのに対して、アメリカでは、「暮らす」ために「仕事をしている」ということが言えると思います。
終身雇用制度、年功序列制という独特の制度を持った日本では、基本的に生涯ひとつの会社で勤め上げることが前提とされ、会社のために働くという仕組みが出来上がっていて、自分が働きたい部署や勤務地を自分で実現していくことは難しいのが現実だと思います。転勤も、命じられたら、逆らうことはできませんその一方で、会社は、福利厚生も含めて手厚く従業員を保護してくれます
その正反対の世界がアメリカ。ひとつの会社に数年いた後にキャリアアップのために新しい会社へと羽ばたいていくことは普通に行われていて、生涯で何度も転職をしてキャリアの階段を上がっていくことは、社会全体として認められていますもちろん、ひとつの会社で着実に成長していく人もいますが、野心家でチャレンジ精神の多いNYのような場所では、そうした人はかなりまれとも言えると思います。
そのため、アメリカの仕事の世界では、興味の対象は、いかに自分が今いる場所で多くのことを得られるか、自分の可能性に挑戦できるか、ということにあると思います。そのため、その目的が達成されたり、あるいは目標が達成できる場所が他にあると思えば、あっさりと会社を去って行くことになるのです
そして、会社側も、会社の都合でリストラを行うし、日本のような福利厚生も提供せず、日本のように従業員の生活に大きな責任を負ってくれることはありません
会社と従業員の間で、日本に比べてはるかにドライな関係が保たれているのが、ここアメリカです。
どちらが良いのかは、人それぞれだし、置かれた環境や状況によっても違うので、断定することはできませんが、個人の実力とその対価がより比例するのは、アメリカの社会のように思います。
そうした社会風土があるからこそ、たとえ大学を中退していたとしても、それを上回る実力があれば、スティーブジョブスのような人生を歩むこともできるし、フェイスブックの創業者のように若くして経営者となることも可能なのだと思います。日本だったら、大学中退というだけで、ちょっと変わった人、というような扱いを受けてしまうと思いますが、実力さえあれば、そんなことが全くないのが、アメリカ社会なのです
このアメリカ式「暮らす」ために「働く」ということは、アメリカの職場環境にも大きく現れていて、私がアメリカ人と働き始めて驚いたことのひとつでもありますアメリカの職場環境については、次回に続きます。
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