NYでドキドキの体験

小林照子先生から次の世代へのメッセージ

この記事は、コーセーの一時代を築き、83歳となった今でも美容研究家として活躍されている小林照子先生のニューヨークでの講演会のお話です。過去3回から続く最終回ですので、過去記事がまだの方は、下記から先にご覧ください。

https://whitecatinny.com/2018/03/01/83歳の美容研究家が語る人生論/

https://whitecatinny.com/2018/03/02/83歳の現役美容研究家が語る人生のヒント/

https://whitecatinny.com/2018/03/03/83歳の美容研究家が語る人生の不運をしなやかに乗/

30歳になってすぐに大きな交通事故に巻き込まれて家族が重症となり、大一番の海外出張もキャンセルとなってしまった照子先生。社内では照子先生の事故を心配する声が大きくなり、ついには社長の耳にまでその話が届いたそうです。当時の社長の名字は、たまたま結婚して小林姓になった照子先生と同じく小林さん。どういうわけか噂が噂を呼んで、コーセーで優秀な照子先生は、社長一族ではないかとの話になり(実際は違います)、照子先生の名はまたたく間に社内の人に知れ渡ったそうです。そして、世界初となる美容液を開発。多くの化粧品をつけてもらってお客さんにお金を落としてもらうビジネスモデルだった当時の化粧品業界で、1本の美容液でいくつもの化粧品の効果が得られてしまうのは困ると社内で反対する声もあったようですが、結果的に商品は大ヒット。

その後、メイクアップ教室を開講することを目的に、会社を辞任することを決意しますが、会社として教室を作るので残ってほしいと懇願され、コーセーが開講したメイクアップスクールの初代校長に就任。会社が都内の一等地の立派なビルまで用意してくれたそうです。

それからしばらくして、外見の美を追求することで内面も磨かれる(ファイン)との理念から、美・ファイン研究所を設立するために、35年間勤めたコーセーを56歳で退社。さらに、75歳のときに、高校卒業資格とビューティーの専門知識と技術の両方を取得できる新しい形の教育機関を立ち上げ、後身の指導にも熱心に取り組んでいらっしゃっています。

パナソニックの業績が思わしくなかった頃に、共同開発した美顔器が大ヒットしてパナソニックの業績回復に一役買うなど、ご自身の経験からの企業への新商品のアイディアの提案にも定評があり、美容に限らず大手企業からの依頼も絶えないそうです。

山あり谷ありの人生で、他人の人生と比べて私はどうしてこうなんだろうと思っていた時期もあったという照子先生ですが、講演会の会場に来ていた人たちの中で一番高齢だったにも関わらず、一番若々しく、エネルギーに満ち溢れ、先生からは光が放たれているのではないかと思うほどの輝きでした。

80歳も超え、最近になって、自分の経験から、人生これはしないほうが良いとかあれはしたほうが良いと思ったことを自分より若い世代の人たちに伝えたいとの思いで出版されたのが、「これはしない、あれはする」という最新の書籍です。これはしない、と先生が今は信念にされていることも、実は全て先生自身が過去にしてしまったことで、ご自身の経験から、しないほうが良いと強く思われている25のことを書き出してみたそうです。そして、したほうが良いことも25こ紹介されています。5人の親に育てられたことから、6歳の時に既に、人は自分の芯を持って生きていかなければいけないということを悟り、一歩一歩人生の階段を上って来た照子先生の言葉にはとても重みがあります。

また、テレビショッピングで24時間の間に1億円以上もの売上を記録したという脅威の美容クリーム、プリズムエッグを早速使い始めてみていますが、初日からあまりの保湿効果に驚いています。顔のツヤが良くなってファンデーションを付けることを思わず忘れてしまうほどの効果で、おすすめです。
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先生の最新の著書と大ヒット美容クリーム、プリズムエッグ。

機知に富んだお話でニューヨークの女性たちを魅了した照子先生から、講演会への参加者へのメッセージは2つ。肌を常に潤わせること(これが美肌のコツだそうです)、そして、朗らかに生きること(こちらは、充実した人生を送るためのコツ)。

今83歳なので、あと残りは30年ぐらいでしょうか、と笑顔で語っていた照子先生。今後の益々ののご活躍を陰ながら応援していきたいです。


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